No.289『悲しみを抱えてこそ、深い人生』

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他人との付き合いの中では、うれしいこと、楽しいこともたくさんありますが、それと同じくらいに、つらいことや悲しいこともあります。
他人を拒絶している人は、つらい思い出を受け入れられず、「もう二度とこんなつらい目に遭いたくない」と、心を閉ざしてしまっているのではないでしょうか。

大好きな人に振られた。
信じていた友人に裏切られた。
親からひどい仕打ちを受けた。
私たちは、それらの心の傷とどう向き合っていけばよいのでしょうか。

結論から言ってしまえば、「静かにゆっくりと傷が癒えるのを待つ」しかありません。
あせって手っとり早く痛みを取りのぞこうとしては、かえって傷を悪化させてしまいます。
痛みを癒すためのもっとも有効な薬は、「時間」です。
ただし、何も考えずに忘れてしまえばよいというのではありません。
麻酔をかけて身体の痛みを和らげるように、考えることをやめて心の痛みをごまかしても、何の解決にもならないどころか、「よろこびさえも感じられない」という大きな副作用をもたらすことになります。

心の痛みは、どれだけ時間がたっても、蒸発するように消えてなくなるものではありません。
身体ぜんぶで受け止め、自分の中に吸収するのです。
悲しみが身体じゅうに、血管の一本一本や細胞のひとつひとつにまで、じんわりと染みわたり、薄まっていく様子をイメージしてください。
悲しみを自分の一部として取り込んでこそ、それを乗り越えたと言えるのです。

心の痛みは、人間にとってまったく不要なものではありません。むしろ、成熟した大人になるためには不可欠といってもいいほどに大切なものです。
自分の心が痛んだ経験があるから、他人の痛みも想像できるのです。
もし、この世の中が、痛みを知らない人ばかりだとしたら、どんなに恐ろしいことでしょうか。平気で傷つけ合い、奪い合い、いたわり合うことも助け合うこともなく、勝つか負けるかだけの殺伐とした世界。
痛みや悲しみを知らない社会こそが、まさに地獄なのです。

けっして自分だけがつらい思いをしているのではありません。
人は皆、どんなに幸せそうに見える人でも、それぞれに悲しみを抱えて生きているものです。
幸せに生きている人は、何の苦労もなくのほほんと生きてきたわけではなく、悲しみを抱えながらも、いえ悲しみを抱えているからこそ、それを受け止め、一歩乗り越えて、悲しい人生の中によろこびを見いだして生きているのです。

「自分だけがつらい思いをしている」とひがんでいる人は、厳密に言えば、「つらい」「悲しい」という感情から逃げているだけで、本当につらい思いをしているわけではないのです。
心から悲しみを感じることができる人は、そんな自分を受け入れられるはずなのです。

「誰も自分のつらい気持ちを判ってくれない」などと嘆く必要はありません。判ってもらえないのが当然なのですから。
他人の心の痛みは、「たぶんこうだろう」と推測することはできても、完全に理解することは不可能です。
身体の痛みであれば、だいたい想像することはできます。同じ力で殴られれば、ケガの程度も同じくらいでしょうし、切り傷の深さが同じであれば、感じる痛みもほぼ同じです。
しかし、心の痛みは、その人の性格や考え方、経験などによって異なり、人それぞれとしか言いようのないものなのです。

ひどいののしり方をされても、まったく意に介さない人もいますし、他人から目をそらされただけでも、深く傷ついてしまう人もいます。
自分の心の痛みは、言わば「自分の勝手」であり、「自分にしか判らないものなのだ」という前提で受け入れなければならないのです。

他人の心の痛みを想像することは大切です。しかし、「私は他人の気持ちが判る人間である」という思い上がりは禁物です。
どれだけ他人の気持ちを想像する努力をしても、きっとその100分の1も理解できていないのです。
人間はどうしても、自分の痛みは過大に重く受け止め、他人の痛みは軽く考えてしまいがちです。
「他人の気持ちを最大限に想像する努力をしなければならない。自分の気持ちは、他人に判ってもらえなくても当然である」と考えるくらいでちょうどよいのです。それでもまだ、自分の気持ちのほうがはるかに重大だとみなしてしまっているでしょう。

悲しみは、無理に忘れようとしてはいけません。悲しみを抱えたまま、りりしく生きていけばよいのです。
何もつらいことがなければ幸せなのではありません。
悲しみの中によろこびを見いだすことにこそ、人生の輝きがあるのです。

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