No.288『想像力で心を大きく』

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「起きて半畳、寝て一畳」という言葉があります。
どれだけ家が広くても、実際に自分の身体が占有している広さは変わりません。
「もっと豊かな暮らしがしたい」という不満をもっている人でも、家の中を見回してみれば、人間が生きていく上で不可欠というわけではない「無駄なもの」がたくさんあることに気づくでしょう。ただでさえ私たちは、身に余る暮らしをしているのです。

せまく質素な家の中でも、目を閉じて「ここは宮殿のような豪邸だ」と想像してみてください。
ひとりの人間が生きていくために、何百坪もの土地は必要ありません。
むしろ、家が広ければ広いほど、管理に手間と費用がかかるし、防犯対策などのわずらわしさも増えることになります。
実際に広い家を所有することと、広い家に住んでいると想像することの間に、どれほどの違いがあるというのでしょうか。
広い家に住むことの利点が、「贅沢な気分に浸れる」ということだけならば、自分で勝手に広い家を想像するのも同じことです。ただの「気分の問題」なのですから。

300円の原価でつくった家庭料理と、高級レストランで出される3万円の料理とを比較してみましょう。
高価な食材とは、たいてい、稀少なものです。しかし、稀少だからおいしいとはかぎりません。
値段が100倍になったからといって、栄養価も100倍になるわけではなく、高い料理を食べたからといって長生きするわけでもありません(むしろ健康を損なう場合のほうが多いでしょう)。

どんな高級な食材を使い、一流のシェフが腕をふるった料理でも、ひとりの人間が一度に食べられる量には限界があります。量が同じなら、腹のふくれ具合も同じです。
そう考えれば、食べものは、「値段が高ければ高いほど、割に合わない」ということが判ります。
たった一個のおにぎりでも、たとえば、富士山の頂上で食べていると思えば、おいしく食べられるのです。

「目に見えるもの」「形あるもの」を手に入れて満足するという俗な楽しみは、想像力のない人にまかせておきましょう。
目に見えるものを見えるままにしか感じられない人は、どれだけ贅沢をしても心は豊かになりません。
幸せとは、心が満たされることです。現実を変えなくても、想像力を駆使して心の中を変えるだけで、充分に幸せになれるのです。
幸せは目に見えませんが、「自分を幸せだと思うこと」は、たしかな現実です。

他人の心の中も、目には見えません。
「自分が好かれているか、嫌われているか」をどれだけ気にかけても、本当のところは判らないのです。
どうせ見えないのですから、自分に都合のよいように想像してしまえばよいのです。
他人が怖いという人は、みんなが怖い鬼の仮面をかぶっているように見えているのではないでしょうか。
その他人の顔に、にっこりと笑ったお面をかぶせてみましょう。そして、「みんな、自分に好意をもっているはずだ」と、他人の心の中を勝手に想像してみましょう。
それだけで、心はずいぶん安らぐはずです。

愛情を計測器ではかることはできません。他人に愛されることによって、何かが物理的に変化するわけでもありません。
愛情で結ばれた関係とは、いい意味での勘違いだと言えます。
「愛されること」とは、すなわち「自分が愛されていると思うこと」です。
自分がどう思うかという問題なのですから、勝手に「自分は愛されている」と思えばよいのです。

「それでは、ただのうぬぼれにすぎず、ストーカーになるような人間と同じではないか」という疑問をもたれる人もいるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。
鼻持ちならないうぬぼれ屋や、特定の人に執拗に付きまとうストーカーなどは、本当に「自分は愛されている」と思っているわけではなく、むしろまったく逆で、「自分は愛される価値のない人間だ」という劣等感にまみれており、だからこそ、他人に愛情を要求しなければ気がすまないのです。

心から「自分は愛されている」と思うことができる人は、それ以上に愛を求めることはしません。お腹がいっぱいになればそれ以上食べられないのと同じように、本当に心が満たされれば、もう充分だと思えるようになるのです。
現実と妄想の区別がつかないのは困りますが、自分を幸せだと思える人は、自分の心をしっかり管理できているのです。

心が大きくなれば、他人に優しくなれます。
自分の想像力で、心はいくらでも大きくすることができるのです。
「自分は他人に愛されている」と思うことができれば、「できるだけ恩返しをしよう」と思えるようになるでしょう。
そういう積極的な態度が、ますます他人の愛情を呼び込むのです。

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