No.283『意味が変われば人生も変わる』

たかたまさひろの本 累計30万部
リラックスブック
リラックスブック
こころのおそうじ
こころのおそうじ
こころが休まる本
こころが休まる本

他人に話しかけて、迷惑そうな顔をされたらどうしよう。
何の取り柄もない自分は、どんな仕事に就いてもうまくいかないだろう。
この先ずっと、友人も恋人もできず、つまらない人生を送るのだろう。
何でも悪いほうに考えて落ち込んでしまう人は、「まだ起こってもいないことを大げさに怖れる」という癖があります。

これは、高所恐怖症の人の考え方に似ています。
高所恐怖症の人は、現在の危険に怯えているというよりも、「これからどんどん増していくであろう恐怖」を勝手に想像して、動けなくなってしまうのです。
高いところに上がれば、誰でもはじめは足がすくむのは当然です。しかし、ふつうは時間がたてば、「落ちる可能性はない」ということが判って、慣れてきます。
高所に慣れた経験のない人は、「はじめのうちでさえこんなに怖いのだから、時間がたてば、さらに耐えられないほどの恐怖が襲ってくるに違いない」という未知の恐怖に怯え、「取り返しがつかなくなる前に、降参しておこう」と考えてしまうのです。

高所恐怖症を治すには、「はじめは誰でも怖いのだ。しかし、やがて誰でも慣れるのだ」と理解すればよいのです。
高所恐怖症の人とそうでない人との違いは、「恐怖はどんどん増していくだろう」と考えるか、「恐怖はやがておさまるだろう」と考えるか、ということです。

最近の都市ガスでは、大きな地震が発生したときには、マイコンメーターによって自動的にガスが遮断されるようになっています。
地震が起きたからといって必ずガスが漏れるわけではありませんが、念のために最悪の事態を想定し、万全の策を講じているのです。
ガスが漏れていないことを確認し、メーターの復帰ボタンを押せば、再びガスが使えるようになります。

恐怖というものも、危険を避けるために人間に与えられた本能です。それは、「克服すべきもの」というよりも、「うまく活用すべきもの」なのです。
なぜ恐怖を感じるかといえば、「安全が確認されていないものは、とりあえず危険だとみなして回避しておく」ためです。それほど危険でないことが判れば、もう怖れることはないのです。

恐怖や不安にとらわれて行動ができない人は、復帰ボタンを押すことを知らない人です。安全装置がはたらいてガスが遮断されただけなのに、二度とガスは使えないと思い込んでいるのです。
たしかに人生にはつらいことや悲しいことは起こりえますが、最悪の事態などというものは、ほとんど起こりません(めったにないことだからこそ、最悪なのです)。
恐怖や不安は、たいていの場合、取り越し苦労にすぎないのです。

他人に話しかける勇気がない人は、「これまで、他人から認めてもらえずに苦しんできた。だから、これからも、もっともっと苦しむことになるだろう」と考えています。
「この先の人生、何もいいことがないだろう」と悲観している人は、「これまでこんなにつらいことがあったのだから、年を重ねるごとに、つらいことばかりが増えていくだろう」と想像しています。
死にたいほど絶望してしまう人は、「現在の不幸に耐えられない」というよりも、「これからずっと続くであろう不幸に耐えられない」のです。

これまでは、たしかにそうだったかもしれません。しかし、先のことは判らないのです。
人間の考え方は、変わるものです。
現実は何も変わらなくても、その意味をどう受け止めるかで、人生は大きく変わることもあります。
その不幸は、本当に心を打ち砕くほどの不幸だったでしょうか。
ものの見方が変われば、ふたたび同じ目にあっても、今度はそれほど気にならなくなるかもしれないのです。

幼い子供のころ、親に「そんな聞き分けのない子は、おいていきますよ」と叱られて、「本当に親に見捨てられたら、どうしよう」という恐怖におののいた経験のある人もいるかもしれません。
子供のころは、それは生きるか死ぬかの大問題でした。しかし、大人になって振り返ってみると、「親は、言うことを聞かせるために、方便でああいう言い方をしただけなのだ」ということが判るようになります。
親にそう言われたという事実は変わらないのに、自分が成長したおかげで、その事実のもつ意味は大きく変わったのです。

雨は、ハイキングを楽しみにしていた人には残念なことですが、日照りを心配していた農家の人にとっては恵みとなります。
雨そのものによいも悪いもなく、それをどう受け止めるかという意識の問題です。
横断歩道を渡っていて、自転車に引っかけられて転倒したことは、「とんでもない不運だった」と考えることもできますが、「トラックにひかれる危険を教えてくれた」と見ることもできます。
これまで不幸だと思っていたものが、実は自分の人生に必要なものだったということに気づくときがくるかもしれないのです。

悲しい、苦しい、もうダメだ。そこで人生を降りてしまったら、本当に悲しくて苦しいままで終わりです。
人生には好調と不調の波があり、そのサイクルの期間は人によって違います。これまで不幸だったのは、たまたま不調の期間が長く続いていただけで、これから好調に転じるかもしれないのです。
よいことが起こるという保証はありませんが、悪いことばかりが起こるというのも、何の根拠もない憶測にすぎません。
「将来に何の希望ももてない。何を頼りに生きていけばよいのか」と迷っている人は、とりあえず、「自分がどういう人生を歩むのかを見届ける」ことを目的に生きていけばよいのではないでしょうか。
ともかく、生きてみなければ判らないのです。

No.280 - 289
前の10件 次の10件