No.274『人生は選べるうちに選んでおこう』

たかたまさひろの本 累計29万部

リラックスブック

こころのおそうじ

こころが休まる本

ある大学生の悩みです。
大学の経済学部に進学したが、もともと経済学に興味があったわけではなく、たまたま受かったところに入っただけである。
勉強にまったく身が入らず、授業をサボってアルバイトをしたり、遊びに出かけたりすることが多くなった。
中退しようかとも思うが、将来の就職のことを考えると不安である。
自分は本当は美術大学に行きたかったのに、親に許してもらえず、ふつうの大学に行かされたのだ。
美術大学に行っていれば、今ごろ好きな絵の勉強をして、充実した毎日を送っていたはずなのにと思うと、悔しい。

そんなときは、こう考えてみてください。
親に学費を払ってもらい、生活の面倒まで見てもらうことを当然だと思っているから、不満が生まれるのです。
大学に行っている人がすべて、親が健在で、経済力があるとはかぎりません。
どうしても絵の勉強をしたいなら、自分で働いてお金をためてから美大に行けばよいのです。

「もし親がいなかったら」と考えてみれば、現在の自分の状況がどれだけ恵まれているかが判ります。
「美大に行けなかった」のではありません。「自分で学費を稼いでまで美大に行こうというほどの意志はなかった」というだけなのです。

また、ある主婦の悩みです。
夫は仕事でいつも不在がち。髪をふり乱して、腕白ざかりのふたりの子供を育てている。
若いころのように心がときめくこともなく、自分が女でなくなっていくような虚しさを覚える。
そんなとき、かつて憧れていた同級生の男性に偶然再会した。いけないこととは思いながら、彼の誘いに応じて何度か関係をもってしまった。
彼のことは忘れなければならないと自分に言い聞かせるのだが、誘われればまたよろこんで飛んでいってしまう。
つかの間の幸福と、はげしい後悔。心はその間を行ったりきたりしている。

そんなときは、こう考えてみてください。
もし彼と会っていることを夫に知られて、離婚を言いわたされ、その上、彼にも振られてしまったら。
「夫と彼のどちらを選ぶか」と迷っていられるのは、まだ最悪の事態にいたっていないからです。
結局どちらも選べず、ひとりぼっちになってしまう可能性もあるのです。

迷いが生じるということは、少なくとも、まだ自分に選択権が残されているということです。
選ぶなら、選択権のある今のうちです。
のっぴきならない事態にまで追いつめられれば、嫌でもそうせざるをえないのです。

長い人生の中では、大きな決断を迫られることも幾度かあるでしょう。
どちらの道を選ぶか判断に迷い、悩み苦しんだときは、「選ぶ権利さえ失ってしまったら、どれだけ後悔するだろうか」と自分に問いかけてみてください。
「あれも嫌、これも嫌」と迷っていられるのは、まだ選択肢が残されている間だけです。
「できない」のではなく、「やればできるのに、面倒だから楽なほうを選んでいる」というだけなのです。

浮気を重ねる夫に愛想がつきたが、幼い子供を抱えているので離婚できない。
それは、「離婚できない」のではなく、「自分ひとりで子供を育てようというほどの気力はない」というだけなのです。
もし夫がケガや病気で急死したり、寝たきりになったりすれば、自分が働いて家族を養っていかなければなりません。
「子供を育てられない」といって投げ出すわけにはいかないのです。

結婚したい人がいるが、相手の職業が気に入らないからと親に反対されている。
それは、「結婚できない」のではなく、「反対を押し切ってでも結婚しようと言うほどの情熱はない」だけなのです。
親が認めた好きでもない相手と結婚し、後になって失敗だったと悔やみ、親を恨むのであれば、結局、皆が不幸になります。

「選ばない」という選択をしたつけは、いずれ自分に返ってきます。その覚悟があればいいのですが、そこまで腹を固めているなら、今選ぶこともできるはずです。
後悔は、先延ばしにすればするほど大きくなります。
運よく何とか乗り切れることもあるかもしれませんが、それは結果論にすぎません。結果がどうなるかは遠い将来まで判らないのです。
重要なのは、「どういう事態になっても後悔しない」という心構えです。

自分で選択を放棄しておきながら、不幸を他人のせいにして嘆くのは、もっともつまらない生き方です。
自分の思い通りにならなくても、納得して選んだことならば、不満や後悔は残らないのです。
たとえ今、後悔しているとしても、人生はいつからでもやり直すことができます。自分で選ぶかぎりにおいて。

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