No.272『自分の感じるままに感じてもよい』

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こころのおそうじ

こころが休まる本

ある20代前半の女性は、優しい恋人がいるのに、つい彼を困らせるような言動をとってしまいます。
彼が仕事で忙しいときに電話をかけて、「どうしても話がしたい」とだだをこねたり、誕生日に彼からプレゼントをもらったとき、「気に入らないから、店に返してきてほしい」と言ったりしてしまうのです。
彼は温厚な性格で、わがままを受け入れてくれていますが、このままではいつか愛想を尽かされるだろうということも彼女は判っています。
彼のことが好きなのに、なぜわざわざ彼に嫌われるような真似をしてしまうのか、自分でも自分の気持ちが判らず、悩んでいるのです。

親に厳しく干渉されたり、過保護に育てられたりした人は、このように「他人を困らせ、世話を焼かせることでしか、愛情をえられない」と思い込んでしまうことが多いようです。
他人に上手に甘えることができず、「全面的に屈服する」か、さもなくば「わがままを言って困らせる」かのどちらかに偏ってしまうのです。

過保護・過干渉な親は、何でも先回りして世話を焼き、子供の自発的な成長を阻害しようとします。
「あしたの遠足の準備をしておいてあげたわよ」
「山は緑だから、緑色で塗りなさい」
「だからお父さんの言うとおりにすればよかったんだ」
子供の未熟さを嘆きながらも、自分が子供に頼られていることに密かな満足を感じています。子供が精神的に自立し、親から離れていってしまうことを怖れているのです。
子供は、それを敏感に感じとり、「親の愛情を受けるためには、いつまでも未熟な人間であり続ける必要がある」と考えるようになってしまいます。

「うれしい」「楽しい」などという感情をありのままに感じてはいけない。
自分の感情は、人から「こう感じるべきだ」と与えられるものなのだ。
自分が幸せを願ったり、自発的に行動したりすることは、罪なのだ。
このように、自分の素直な気持ちを押し殺して生きてきた人は、自分が自分でないような夢うつつの精神状態に追い込まれていきます。
心と身体が分裂し、肉体はあっても心は借り物のような気がしてしまうのです。

生きているというたしかな実感がもてない人は、他人に何かアクションを起こし、その反応をうかがうことでしか自分を認識できません。
他人を困らせ、迷惑をかければ、少なくとも自分に関心を向けさせることができます。
このままではいけないと思いながらも、自分が自立して一人前になり、「困った人」でなくなれば、誰にも相手にされなくなるのではないかという不安に襲われてしまいます。
親の機嫌を損ねないように気を遣ってきた「従順なよい子」の自分と、「本当はよい子なんかじゃない」という心の叫びが、はげしくせめぎ合っているのです。

そういう人は、まず、「自分は、自分の感じるままに感じてよいのだ」という当たり前のことをしっかりと心に刻み込んでください。
実際の言動については、他人に配慮することも必要ですが、何を願い、どう感じるかということについてまで他人に合わせることはないのです。
わがままな人とは、自己主張の強い人のことではありません。むしろ、確固たる主張もなく、自分の存在に手応えを感じられない人が、どうでもいいことにこだわり、他人を困らせてしまうのです。
わがままな人は、本当に自分が何を望んでいるのかが判っていないのです。

正当な願望は、他人を困らせたり悲しませたりするものではないはずです。
不当に他人の権利を侵したり、他人の尊厳を傷つけたりしないかぎり、堂々とやりたいことをやってもよいのです。
自分がどうしたいのかさえ判らないというのなら、とりあえず「他人に振り回されずに生きたい」と願うことからはじめてみましょう。他人に反抗するというのではなく、自分の素直な気持ちを大切にするのです。

自分の意志に目覚めることによって、何人かの人からは嫌われてしまうかもしれません。
しかし、そういう人たちは、自分を操作しようとしていた親と同じタイプの人たちなのですから、惑わされることはないのです。
本当に他人から愛され、信頼される人とは、何でも他人に合わせる人ではなく、自分の意志で、自分の責任で行動を選択できる人のことなのです。

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