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No.265『他人の幸せを願うこと』

他人と心を通わせるためには、まず、自分から相手を認める必要があります。
積極的に相手の長所を見いだして、褒めるべきところは褒めるのです。
人を褒めるということは、「私はあなたに関心があり、仲よくしたいと思っています」という強い意思表示となります。
褒められて悪い気がする人はいません。
褒められた人もまた、相手の長所を探そうとして、相互に理解と信頼が深まっていきます。

ただし、むやみに人を褒めればよいというものではありません。
人に好かれたいためにお追従を言ったり、ごまをすったりするのは、身苦しいものです。
媚びへつらってばかりいる人は、ただの「調子のいい人」と思われ、かえって信用を失うことになるでしょう。
そのあたりのさじ加減が難しいところです。
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「褒める」と「媚びへつらう」との違いは、どこにあるのでしょうか。
その違いは、「他人の幸せを心から願っているか」ということです。
「褒める」のは、相手にますます幸せを感じてほしいという気持ちから起こります。
対して、「媚びへつらう」のは、自分が相手に気に入られたいというのが動機です。

それは、「自分もいい気分になれるか」の違いだとも言い換えることができます。
他人を心から尊敬している人は、相手を褒めることによって、自分も穏やかで満たされた気分になるはずです。
心にもないお世辞を言って他人に気に入られようとしている人は、そんな自分をけっして好きにはなれないでしょう。
他人の幸せを願うことができる人は、自分も幸せを感じることができ、自分のことしか考えていない人は、いつまでたっても心は満たされない、という逆転現象が起こるのです。

「自信のある人」と「おごり高ぶっている人」。
「謙虚な人」と「卑屈な人」。
「温厚な人」と「意気地のない人」。
これらはみな、一見似ているようでも大きく違います。
心の中で「他人の幸せを願っているか、自分のことしか考えていないか」によって異なっているのです。

「自信のある人」は、自分の能力を他人のために役立てようとします。
対して、「おごり高ぶっている人」は、自分がどう思われているかということしか頭にありません。
「謙虚な人」は、他人を尊重し、他人を立てることができる人のことです。
対して、「卑屈な人」は、他人が自分を認めてくれないからひがんでいるだけなのです。
「温厚な人」は、他人を温かい目で見ているので、ささいな過ちには目をつぶることができます。
対して、「意気地のない人」は、本当は文句を言いたいのに、自分が嫌われるのが怖いから言えないだけなのです。
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どのような性格にも、良い面と悪い面があります。
自分の性格を生かし、よい行動に移すことができるかどうかは、「他人の幸せを心から願っているか」ということにかかっているのです。

どうしても他人の幸せを願うことができないという人は、いったん自分を捨てて、第三者の目で世の中を見てみればよいでしょう。
自分と関係のない、世界の片隅のどこか遠い町を想像してください。
その町の人々は、互いに認め合い、助け合い、幸せに暮らしています。そう想像するだけで、自然に温かく穏やかな気持ちになれるのではないでしょうか。
「もっと皆が憎み合い、傷つけ合えばいいのに」と思う人はいません。
自分の利害を離れれば、人は誰も、皆が幸せに生きることを願うものなのです。

毎日を幸せに生きるためのもっとも簡単な方法は、他人の幸せを心から願うことです。
「自分を認めてほしい」「自分を愛してほしい」という願望は、とかく裏切られ、傷つけられるものです。
しかし、「他人に幸せになってほしい」という願望は、けっして裏切られることはありません。願いがかなわなくても、何も損をするわけではなく、自分の心が豊かになった分だけ得をしているのです。
そう思えるかどうかで、ふだんの行動にも違いが出てきます。そのひとつひとつの行動が、幸せを呼び寄せるのです。
(おわり)

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こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.260-269
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