このサイトの作者の本 累計34万部

リラックスブック

たかたまさひろ(著)

こころのおそうじ

たかたまさひろ(著)

こころが休まる本

たかたまさひろ(著)

No.246『つねに他人に気を配る』

「他人が皆、自分の悪口を言っているような気がする」と、勝手に被害妄想を抱いてしまう人がいます。
そういう人は逆に、少しでも優しくしてくれる人がいると、「この人は自分に特別な好意があるに違いない」と早合点してしまうことが多いものです。後でそれが勘違いだと判ると、だまされたように感じて相手を逆恨みしたり、人間不信になったりしてしまいます。
つまり、自分と関わろうとする人は皆、「好き」か「嫌い」かの強い関心をもっていると思い込み、「好かれているか、嫌われているか」を異常なほどに気にしてしまうのです。

「自分は皆から嫌われている」と嘆いている人は、実際のところは、嫌われるほど特別な感情をもたれてもいないでしょう。
特別な感情をもたれていないといっても、別にバカにされているわけでも、存在を否定されているわけでもありません。ひとりの人間としては認めてくれているのです。
「好かれているのでなければ、嫌われている」と極端に考えてはいけません。そのどちらでもない場合がほとんどなのです。
(↓広告の後につづきます)

「まわりの人にじろじろ見られているような気がする」というのは、ほとんどの場合が思いすごしにすぎませんし、本当に見られていたとしても、別に変に思われているわけではなく、ただ「存在を認めてくれている」だけなのです。
だいいち、よく知りもしない人のことをバカにしようがありません。

人はふつう、ごく一部の人に好かれ、ごく一部の人に嫌われ、それ以外の人とは好きも嫌いもなく、ただ互いに尊重し合って生きています。
他人と関わることを過剰に怖れてしまうのは、この「好きも嫌いもなく、ただ認める」ということができないからではないでしょうか。
そういう人は、自分の心にバリケードを築いており、その扉を開くのは「好きな人の気を引こうとする」か「嫌いな人を攻撃する」ときにかぎられます。
自分が他人を尊重していないから、他人が自分に何か働きかけてきたときは、よほどの事情があるに違いないと勘ぐってしまうのです。

他人を尊重することは、特別にむずかしいことではありません。
「他人がそこに存在して、こういう行動をとっている」と認識するだけでよいのです。
なんだそんな簡単なことか、と思われるかもしれませんが、これができないためによけいなトラブルを引き起こしてしまう人が意外に多いのです。
けっしてむずかしいことではなく、特に労力も必要としませんが、ふだんから習慣づけていなければ、すぐにできることではありません。

電車やレストランの中で平気で携帯電話で話す人は、自分と関係のない他人を「存在しないも同然」だとみなしています。目には他人が見えていても、まるでテレビの画面を通して見ているかのように、存在を認識していないのです。
なぜ電車内での携帯電話の使用が迷惑かというと、耳障りだということもありますが、せまい空間を多くの人が共用し、物理的にも心理的にも互いに遠慮し合い、譲り合っているのに、ひとりだけがその慎みを忘れ、まるで私的な空間であるかのようにふるまっているからです。

公共の場で自分だけの世界に閉じこもり、好き勝手な行動をしている人は、それを注意されると、「外界からいきなり関係のない他人が侵入してきて、自分を攻撃している」と思ってしまいます。
テレビ画面の向こうからいきなり人が飛びだしてきたかのような驚きと戸惑いを感じてしまうのです。
しかし、そもそも目の前にいる生身の人間を「関係のない存在」だとみなしていることが問題なのです。
(↓広告の後につづきます)

身近な関係の中では神経をすり減らすほど気を遣う人にかぎって、それ以外の他人にはまったく敬意を払わないことが多いものです。
面倒に巻き込まれたくないという理由で他人と関わることを避けているのかもしれませんが、他人の存在を無視した態度こそが、他人をいら立たせ、面倒を引き起こしているのです。

「何も悪いことをしているつもりはないのに、なぜか白い眼で見られたり文句を言われたりすることが多い」という人は、この「他人の存在を無視した態度」をとっていないかを考え直してみてください。
道ですれ違う人、エレベーターで居合わせた人、レストランの隣の席の人、もちろん同じ会社や同じ学校の人も、時間と空間を共用しているという縁において、すべて「関係のある人」です。

「他人に迷惑をかけない」「困っている人を見たら助ける」などということも、つねに他人に気を配っていなければできることではありません。
心のアンテナを張りめぐらせ、感度を高くたもち、何かあったらすぐに対応できるようにするということです。

人と人が出会ったらあいさつをしますが、この「あいさつ」は、もっとも大切な「互いの存在を認め合う行動」です。
あいさつ自体には何も実利的な意味はないのですが、ただ「私はあなたの存在を認識していますよ」と示すことが重要なのです。
見ず知らずの人にいきなりあいさつをするのは変ですが(別に悪いことではないので、できるならやったほうがよいとは思いますが)、出会うすべての人に心の中で「こんにちは」とあいさつをしてみてはどうでしょうか。

つねに他人に気を配っていれば、自分の心の風通しがよくなり、まわりの世界が違って見えるはずです。他人から何かアクションを起こされても、それまでの流れが判っているので、すばやく的確に意味を理解できるようになります。
そして、まわりの人は別に自分を特別な目で見ているわけではなく、「好かれていなくても、嫌われているわけではない」ということに気づいて、心は楽になることでしょう。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 44刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

イライラ、ムカムカ、カリカリ…自分の気持ち持て余していませんか?読むだけで嫌な気持ちがなくなります
メッセージ No.240-249
ページの先頭へ