No.243『自分の責任を認めるとは』

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会社員のAさんは、現在の仕事に大きな不満をもっています。
Aさんは、新入社員であるB君の指導係を任されているのですが、お坊ちゃま育ちのB君は、他人から命令されることに我慢がならないらしく、Aさんの言うことを聞こうとしません。
なまけ者で無責任なB君のせいで、仕事がまったくはかどらず、いつもAさんが上司から叱られるはめになるのです。
Aさんは、「自分が悪いわけではないのに、なぜ叱られなくてはならないのか」と憤っているのです。

たしかに、B君が無責任な人間であるということは、Aさんのせいではありません。
しかし、「自分の責任ではないのだから、知ったことか」と投げ出してしまってもよいものでしょうか。
Aさんには、B君を指導するという義務が与えられています。義務には、必ず権利が伴います。この「権利」という点に着目してみましょう。
自分の責任の大きさを認めるということは、自分の権限がおよぶ広さを確保することにもなります。自分の責任の範囲はなるべく大きくとっておいたほうが、より自由に、より能動的に生きられるのです。

他人から批判されるということは、「あなたは、その点について行動を選択する権利がある」と認めてくれているということなのです。
「どうせあなたに言っても仕方がない」と半人前扱いされることのほうが、よっぽど悲しいことです。
上司が、わがままなB君の指導をAさんに任せたのは、Aさんにその能力があると認めたからなのです。
地位が上がれば、責任が増すのは当然のことです。その上司も、さらに上の人から叩かれているのかもしれません。

Aさんが、仕事がはかどらないのをB君のせいにすれば、その仕事の成否に対する責任の比重は、AさんよりもB君のほうが大きいということになってしまいます。
Aさんの評価がB君によって簡単に下げられてしまうのだとしたら、もともとAさんの評価も大したものではなかったということなのです。

B君が仕事ができるようになるかどうかは、最終的にはB君の責任です。
しかし、できるかできないかは別として、B君が少しでも上達するように指導し続けることは、Aさんに与えられた役割であり、責任です。
Aさんがそういう姿勢を見せることが、自分の仕事に対する権限を主張することにもなるし、上司の信頼をえることにもなるでしょうし、だいいち「カッコいい」ことではないでしょうか。

これは、仕事以外にも、人生全般にあてはまることです。
私たちはつい、嫌なこと、つらいことがあると、「誰が悪いのか」という犯人捜しをしてしまいます。
そして、これが人間の弱いところなのですが、その犯人が見つかると、関係のないことまで、すべての責任を押しつけるようになるのです。
いくら他人の責任を追及しても、過去を振り返るばかりで、そこで思考が停止してしまい、未来を開拓することはできません。
他人が悪いのが事実だとしても、それとは別に、自分の人生を選びとり、自分が成長することは、やはり自分の責任なのです。

平成4年のバルセロナ五輪・男子マラソン競技で、谷口浩美選手の「こけちゃいました」というセリフが話題となりました。
メダリスト候補と目されていた谷口選手は、レースの中間地点あたりまでは先頭集団にいたのですが、給水所で後からきた選手にかかとを踏まれて、靴が脱げて転倒し、大きく後れをとってしまいました。
さぞかし悔しかっただろうと思いきや、レース後のインタビューでは、「こけちゃいました」と、こともなげに笑いとばしたのです。
谷口選手は、アクシデントにもめげず、レースの終盤でぐんぐん追い上げ、20人以上をゴボウ抜きして、見事8位に入賞しました。
いっさいの恨み言を言わず、黙々と自分のやるべきことを精一杯なしとげた姿が、さわやかな感動を呼んだのです。

「いい人」「悪い人」というのも、しょせん、自分の利害と照らし合わせての近視眼的な主観にすぎません。自分もまた、誰かにとっての「悪い人」かもしれないのです。
人を裁くことよりも、自分がどうすればいいのかを考えることのほうが、はるかに重要です。

といっても、すべてを完璧にこなす必要はありませんし、何でも自分ひとりで抱え込んでしまってもいけません。
できるかぎり努力はすべきですが、物理的に不可能なことや、自分の能力を超えることについては、「できないことは、できない」と言うのも自分の責任です。それによって、評価や報酬を失ったとしても、「もともと、無理なことを望んでいたのだ」とあきらめなければなりません。

困ったときは、他人の助けを借りる。気にする必要のないことは、気にしない。それらも含めて、どう対処するかを「自分の責任で決める」という意識が大切なのです。
自分の責任を認めるということは、自分を責めることではありません。
自分が悪いのではなく、他人が悪いのでもなく、ただ「自分の人生は自分でつくり上げるのだ」という積極的な生き方を選び、選択の幅を広げるということなのです。

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