No.242『他人の役に立つために』

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リラックスブック

こころのおそうじ

こころが休まる本

ある住宅地に引っ越してきた家族がいました。
そこの奥さんが、早朝に家の前を掃いていたときのこと。
ふと思い立って、ついでに向かいの家の前も掃除してあげることにしました。別に感謝してほしいわけではなく、親切を押し売りするつもりもなく、「たいして手間は変わらないから」と、純粋な善意で行ったことです。
ところが、それを見ていた近所の人が、「言いにくいことだけど……」と前置きした上で、「そんなよけいなことはしないほうがいいですよ」と忠告してきたのです。

奥さんは、せっかくの善意を「よけいなこと」と言われて少しムッとしたのですが、次の日になって、その理由が判りました。
朝起きて家の前を見ると、向かいの奥さんが眠い目をこすりながら、こちら側まで掃除してくれていたのです。
聞くところによると、向かいの家は飲食店を経営していて、夜遅くまで仕事をしており、ふだんの朝はもっと遅い時間に起きているそうです。
なまじこちらが「親切」にしたために、向かいの奥さんは早起きしなければならないはめになったのです。
向かいの奥さんにしてみれば、「ほうっておいてくれれば、後で自分でやるのに」と言いたいところでしょう。しかし、善意でやってくれたことであるのは判っているので、文句も言えません。

「他人の役に立ちたい」「他人に親切にしたい」と思う気持ちは大切です。
しかし、まったくの善意で行ったことでも、相手の事情によっては、かえって負担となってしまうこともあるのです。
常識的な感覚をそなえた人ならば、他人から親切にされれば、「してもらうばかりでは申し訳ない。何かお返しをしなければ」と思うはずです。
相手にそのような気遣いをさせることまで考えて、親切は行わなくてはなりません。

付き合いはじめたばかりの恋人に、いきなり高価なプレゼントをする男性。恋人の男性にかいがいしく「尽くすタイプ」の女性。
そういう人たちはたいてい、恋人に振られると、「あんなに親切にしてあげたのに」と、相手を恨むことになります。「さんざん利用された挙げ句、用がなくなったら捨てられた」という一方的な被害者意識をもつのです。

たしかにその親切は、「相手のよろこぶ顔が見たい」という純粋な善意で行ったのかもしれません。
しかし、「これであなたは、私から逃れられませんよ」と、相手に心理的な負担を与える目的がなかったでしょうか。
本当は自分が相手に依存しているのに、相手から依存されることに慢心して、思い上がっていなかったでしょうか。
自分も、相手の役に立つことによって自分の存在価値を確認していた、つまり「相手を利用していた」ことになるのです。

人付き合いに必要なことは、「おかげさま」「お互いさま」という気持ちです。
親切にしてもらったら、「おかげさまで」と感謝する。
嫌な思いをしても、「お互いさま」と自分を省みる。
このふたつさえ忘れなければ、たいていのトラブルは避けられます。

本当に他人の役に立っている人は、それを否定されても、腹を立てたり相手を責めたりすることはありません。「相手は自分の行為を必要としなかった。では、やめよう」とあっさり思うだけです。
「他人を助けたい」という思いは、下手をすれば相手を劣る人間として見くだすことにもなりかねません。
自分は好意を示したつもりでも、相手には「なれなれしい」と受け取られることもあります。

何を必要とするか、必要としないかは、その人自身が決めることで、「あなたにはこれが必要であるはずだ」と押しつける権利は誰にもありません。
「善意」という美名のもと、無意識のうちに他人の領域にずかずかと踏み込んでしまわないよう、注意が必要です。
実際に他人が困っているなら、助けるのはよいことですし、「結果的に」他人から必要とされる人間になるのはかまいません。しかし、それは自分から求めるものではないのです。

他人から必要とされる人間になるのは、割合に簡単です。
極論を言えば、他人を監禁して自由を拘束し、自分が与える食べ物以外に何も食べられないようにすればよいのです。相手は、自分がいなければ生きていけませんから、自分を必要としていることになります。
これはもちろん、あくまで極端なたとえ話ですが、他人から必要とされることを求める人は、これに似たようなことをやっているのです。他人が「自分の助けを必要とするような弱い人間」であってほしいわけです。

「他人から必要とされる人間になりたい」と考えるよりも、まず優先させるべきことは、「自分がどれだけ他人を必要とし、他人の世話になっているか」をはっきり自覚するということです。
つまり、自分に足りないものを認め、謙虚にへりくだり、他人を尊重するということです。

「私はこんなに他人の役に立とうとがんばっているのに、誰も認めてくれない」と嘆いている人は、自分を認めてもらおうとすることに精一杯で、それ以上に大切な「他人を認めること」をおろそかにしているのではないでしょうか。
自分が「他人から必要とされたい」と思っているのと同じように、他人も皆、必要とされたがっています。
どんな親切を受けるよりもうれしいことは、「あなたがいてくれて、うれしい」と感謝され、存在を認められることです。

「自分には能力がないから、他人の役に立てない」などということは、ありえません。
たとえ寝たきりの病人になっても、他人の役に立つことはできます。
他人を尊重し、感謝を示すこと以上に、他人の役に立つ行為はないのです。

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