No.239『答えを押しつける質問』

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質問という形式をとりながら、自分の意見を押しつける人がいます。
口論になったとき「私が悪いっていうの」と言ったり、ちょっと邪険に扱われると「そんなに私のことが嫌いなの」などと言ったりする人です。

「私が悪いの」ときかれて、「別に悪いとは言ってないけど……」と答えようものなら、「じゃあ、悪くないのね」と開き直られます。
「私が嫌いなの」ときかれて、「はい、嫌いです」と答えられる人は、なかなかいません。それが判って尋ねているのです。
相手にかぎられた選択肢しか与えず、自分の望むとおりの答えを押しつけ、あたかもそれを相手が自ら選んだように思わせる策略なのです。

他人から過ちを指摘されたとき、「そう思っていたなら、なぜ早く言ってくれなかったのか」と逆に相手を責める人がいますが、そういう人にかぎって、はっきりと指摘されれば怒るのです。
「私に逆らうと許さないぞ」と威嚇しておきながら、「言いたいことがあるなら、はっきり言え」と、どちらにしても他人を責めようという態度をとっているのですから、対処のしようがありません。

教育熱心な親は、子供がまだ小学生のうちから「どこの大学を目指すの」と尋ねます。はじめから「大学には行かない」という選択肢はないのです。
子供は、親に見放されては生きていけませんから、親の期待に応えようとして、一流大学の名をあげます。
すると、「よし、お前がそこに行きたいなら、お父さんとお母さんは応援するぞ」と、見事に親の願望が子供自身の願望にすり替えられてしまいます。

子供が途中で弱音を吐けば、「自分が決めた道じゃないか。途中で投げ出すのか」と、逆らいようのない正論で責め立てられます。
子供は、得体の知れない重圧と、それを乗り越えられない劣等感にさいなまれ続けます。
ついに子供にも我慢の限界がきて、突然反抗するようになると、子供を追いつめていたという自覚のない親は、「あんないい子が、なぜ」と途方に暮れることになります。
親は、「子供の大学に行きたいという夢をかなえてやるために、できるかぎりの援助をしてやったのに、いったい何が気に入らないのか」と、恩を仇で返されたように思うのです。
「立派な家庭」の子供が非行に走る、よくあるケースです。

自分に自信がなく、他人から批判されることを怖れている人は、まったく悪意はなくとも、無意識のうちにこの「答えを強要する質問」をしてしまっていることが多いので、注意が必要です。
「私のことをずっと愛してくれる?」「私と友達になってくれませんか?」「怒らないって約束してくれる?」
どれも、はっきりノーとは答えにくい質問です。イエスと言いなさいと強要しているのと同じなのです。

そういう質問の仕方をする人は、相手との関係が壊れたとき、「自分が悪かったのではない。相手が約束を破ったのだ」という言い訳をするための準備をしているのです。
恋人や友人に裏切られたと嘆いている人は、そもそもその「約束」を相手に強要していなかったかを見直してみてください。

逆に、他人からそのような「答えを強要する質問」をされたときは、自分なりの新しい選択肢を用意して答えるとよいでしょう。
「私が間違っているというの」ときかれたら、「気持ちは判るが、賛成できない」と、相手を全否定することは避けつつ、自分の意見を述べる。
「私のこと嫌いになったの」ときかれたら、「あなたのこういう行動については、よくないと思う」と、心情ではなく理屈で答える。
「あなたは、どちらの味方なの」ときかれたら、「その都度、正しいと思うほうの味方をする」と、両方を立てる。

何事も、白か黒かをはっきりさせなければならないというわけではありません。
むしろ、白黒をはっきりさせたために後で問題となることのほうが多いのです。
人間関係におけるどんな問題も、二者択一で決められるほど単純ではありません。選択肢は無数にあるのです。
これは、「曖昧に逃げる」のではなく、むしろ「問題のポイントをはっきりさせる」ということなのです。

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