No.237『思い通りにならないという苦しみ』

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悩みや苦しみとは、「自分の思い通りにならない」という不満から生じます。
自分がある人のことを好きになっても、相手も同じように自分を好きになってくれるとはかぎりませんし、自分の仕事の能力を自分が思っているほど上司は評価してくれないものです。
自分の欲求と現実とのずれが、苦しみとなるのです。

だからといって、いっさいの欲求を捨て去れば苦しみから逃れられるのかというと、そんなことはありません。
望んだものが手に入らないのが悔しいからといって、はじめから努力を放棄するのは、単なる怠惰であり、問題を根本的に解決したことにはならないのです。
人間が成長するためには、適正な欲求は必要です。
何かを欲するのはよいのですが、それに執着し、欲望の奴隷となってはいけないのです。

何度も恋愛に失敗して傷つき、「もう恋愛はこりごりだ。これからは、仕事や趣味に打ち込もう」と決めこんだら、逆にモテるようになった、ということはよくあります。
なんとか恋人をつくろうと必死になっていたころは、本人は精一杯努力していたつもりでも、そういう「自分を飾ろうとする態度」がかえって敬遠されていたのです。

恋愛をあきらめたからといって、欲求を捨て去ったわけではありません。
「幸せになりたい」という欲求はそのままに、手段を変えてみただけなのです。
幸せを外部に求めるのではなく、仕事や趣味などに打ち込み、自分の内部から磨いていこうと決めたことが、他人には魅力的にうつり、好感をもたれるようになったというわけです。

私たちは、新しい恋人とつきあい始めたときは、そばにいて話をするだけで心をときめかせていたのに、やがてそれに慣れてくると、「なぜもっと私を理解してくれないのか」「もっと気を遣ってくれてもいいのに」と要求するようになってしまいます。
子供が生まれたときは、「丈夫に育ってくれさえすればいい」と思い、子供の笑顔を見るだけで心が和んでいたのに、しだいに「少しでもいい学校に行かせたい」「何か特別な才能はないだろうか」と期待するようになります。

欲を出し、それだけが幸せであるかのように執着しはじめたときが、苦しみのはじまりです。
目先のことにとらわれて、「何のためにそうしているのか」という本来の目的を見失ってはいけないのです。

食欲は、満腹になれば満たされます。
健康に生きるために食物を摂っているのですから、食べすぎて健康を害してしまっては元も子もないということは、身体が自然に判っていることです。
内なる自然な欲求は、適当に満たされたところで、「やりすぎてはいけない」とブレーキがかかるようにできているのです。

心の健康についても同じことがいえます。どんな欲求も、度が過ぎればかえって精神を害してしまいます。
「心が安定している」とは、過不足のない状態のことをいいます。
欲望を抑えられない人の欲望とは、自然に心からわき上がったものではなく、「みんなやっているから」という安易な模倣であったり、「他人を見返してやりたい」という敵意であったりするものです。
自分を幸せにするための素朴な欲求は、限度をわきまえているのです。

人は、自分の願望をかなえるために努力をしますが、それがかなわなかったらまったく無駄になるというわけではありません。
仮に、奇跡的な幸運によってすべての望みがかなったとしたら、自分を省みることを怠り、他人への感謝を忘れ、自堕落でごう慢な人間に成り下がり、かえって不幸になってしまうでしょう。

思い通りにならないときこそ、自分の真価が問われているときです。
苦境や困難にどう対処し、何を学びとるかということに、その人の人間性が表れるのです。
無理を押し通そうとするのでもなく、やけになって投げ出すのでもなく、「身の丈をわきまえながらも、向上心を忘れず、自分の特性を最大限に生かそうとすること」に、生きがいや幸せがあり、またそういう態度こそが他人から評価されるのです。

どうにもならないことは、受け入れる勇気をもつこと。
どうにかなることは、懸命に努力すること。
そしてもっとも重要なことは、そのふたつを見分ける知恵をもつことです。

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