No.229『生きている自分、生かされている自分』

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こころが休まる本

「不幸というわけではないが、とりたてて幸せともいえない」という漠然とした虚しさは、多くの人が抱いているのではないでしょうか。
民衆が圧政を受けていた時代は、自由を勝ち取ることが生きる目的でありえたし、社会全体が貧しかったころは、懸命に働いて豊かな生活を手に入れることが人々の生きがいでした。

しかし、自由と豊かさがはじめから与えられている現代の若者は、恵まれているゆえに、目的のない虚しさの中で生きていかなければならないという矛盾にさいなまれています。
どんな信条に従って生きるのも、どんな職業に就くのも自由ですし、がむしゃらに働かなくても飢え死にする心配はありません。乗り越えるべき壁がないのでは、無気力に陥ってしまうのも仕方のないことです。

「自分の好きなように生きなさい」「自分のやりたいことを見つけなさい」ということがさかんに叫ばれていますが、「何をすればいいのか判らない、やりたいこともない」という人は、「自分は、何と情けない人間だ」という無用な劣等感に苦しめられてしまっているのではないでしょうか。

「どのように生きようがあなたの自由ですよ」とすべてを預けられても、どうやら人間は、その責任の重圧に耐えられるほど強くはできていないようです。
何をするのも自由だからこそ、そのつかみどころのない自由をもてあましている自分がもどかしく、ふがいなく感じてしまうのではないでしょうか。
ほとんどの人は、「自分は何のために生まれてきたのか」などと深く考えることもなく、その問いを棚上げして、日々の雑事に追われて生きています。
人生に虚しさを感じてしまう人は、その「棚上げ」ができない人なのでしょう。

世の中に埋没することを怖れ、奇抜なファッションで個性を主張しようとしたり、非常識な言動で注目を集めようとしたりする人もいます。それがその人に似合っていればよいのですが、たいていは的外れの自己主張であるので、白い目で見られるだけで終わってしまいます。
人間などというものは、しょせん似たりよったりで、なかなかユニークな個性や際立った才能などは与えられていないのです。

現代の多くの人は、「あなたの命や身体は誰のものですか」と問われれば、「もちろん私のものです」と答えるでしょう。
自殺や売春をする人の言い分は、「私の命や身体をどう扱おうが、私の勝手ではないか」ということです。
「私の人生は私のものである」という自我に目覚めることは、不自由で貧しい時代には、社会の殻を打ち破る原動力になりえました。
しかし何ごとも、行き過ぎは禁物です。
現代ではかえって、その強烈な自我意識が私たちを苦しめているのです。

自分の人生が自分だけのものだとしたら、自分が死ねばすべては無に帰します。これまで生きてきた命も、死んだ時点でまったく意味を失うことになってしまいます。
人は皆、自分の命を生きて終えるだけのもので、その断片の寄せ集めが社会や歴史をつくっているのでしょうか。

いえ、やはり私たちの命は、ひとりぽつんと与えられたのではなく、大自然の一部の必然として生まれてきたのです。大げさに言えば、全人類の共有財産です。
ひとりひとりの人生は、社会という大きな有機体の一部であり、バラバラに分解しても機能するものではありません。

自分の命や身体は、自分に使う権利が与えられていますが、自分の所有物ではないのです。
命や身体は、気づいたときには与えられていたものです。
この世の中で誰ひとりとして、自分を選んで生まれてきた人はいませんし、自らの意志で大きくなった人もいません。
モノやお金も、自分で手に入れたものだとしても、はじめから自分だけの力でつくり出したわけではありません。もともとこの世界にあったものや多くの人の手によってつくられたものを使わせてもらっているだけです。

支配欲も名声欲も物欲も、「自分のもの」への執着から生まれます。
しかし「自分のもの」だと思っているのはまさに自分だけで、それは幻にすぎません。世の中に「自分のもの」などないのです。
「自分の人生を自分で切りひらく」という意志も大切ですが、自分を生かしてくれている偉大なものへの畏敬の念も忘れてはいけません。
自分の命や身体を大切にしなければならないのは、それが「自分のもの」だからではなく、「借りているもの」にすぎないからです。

「自分の人生を生きる」ということは、「自分が、自分が」という我執にこだわることではありません。
私たちは皆、この地球上での命のリレーをつなぐために、命と身体を借りることを許されています。それだけでも充分に大きな役割を任されているのですから、特別に大それた真似をする必要はないのです。
「何かをしなければならない」と焦ることはありません。この世に生まれてきたというだけで、重大な意味があるのです。

まず、大いなる力に身をゆだね、「生かされている自分」を意識し、感謝するだけで充分です。それをおろそかにしてまでやるべきことなどありません。
その上で、心の底から自然にわき上がる欲求に従って、やりたいことがあればやればよいし、できることがあればやればよいのです。

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