No.227『自分の視点で判断する』

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他人に気を回してばかりいては、損をするだけの人生を送ることになってしまう。しかし、自分を優先させれば、自己中心的だと非難されそうで怖い。
自分を好きになれない人は、その堂々巡りで悩んでいるのではないでしょうか。
「自分を愛する」「自分を大切にする」とは、いったいどういうことをいうのでしょうか。

自分に自信がもてない人は、「自分は他人に迷惑ばかりかけている」「自分は何をやってもダメな人間だ」と思い込んでいます。
そして、何とかその思いを払拭しようと懸命に努力するのですが、結局うまくいかず、「こんなに努力してもダメな自分は、何の価値もない人間なのだ」と、よけいに自信を失ってしまいます。
努力しては疲れ果て、そんな自分がますます嫌になる、という繰り返しなのです。

「自分は他人に迷惑ばかりかけている」と思うこと自体は、悪いことではありません。
重要なことは、その「迷惑をかけている」という視点が「他人の目」によるものなのか、「自分の目」によるものなのかということです。

人は誰も、他人に迷惑をかけずに生きていくことはできません。意図せずとも、互いに迷惑をかけ合っているものです。
多くの人の世話になり、多くの人に支えられて自分は生かされているのだという謙虚な気持ちは、とても大切なことなのです。
「自分を愛すること」と「自己中心的な考え」との違いは、そこで「少しでも他人に恩返しできるように努力しよう」と思うか、「どうせ皆、私のことを嫌っているのだろう」とひがむかの違いです。

「自分は他人に迷惑ばかりかけている」と本気で思うのなら、申し訳ないという気持ち、感謝の気持ちを他人に示せばよいのです。
「自分は欠点だらけの人間だ」という謙虚な気持ちが本当にあるのなら、他人のよいところを積極的に学び、また他人の弱さや愚かさもおおらかに受け入れられるはずです。
実際に他人の役に立つことはできなくても、心からの思いは他人に通じるものです。
つねにへりくだり、感謝の気持ちを表している人をバカにする人はいません。

自分に批判的であることが悪いのではありません。
「私はダメな人間だ」「そんな私を他人はきっとバカにしている」「バカにされるから自信がもてない」というマイナスの悪循環に陥ることがよくないのです。
自分を批判し、自己の内面をみつめることは、自分を向上させるために必要なことです。
それを生かせるかどうかが、自分を愛せるかどうかの分かれ道なのです。
( ↓ つづく )

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「強くならなければいけない、自信をもたなくてはいけない」と自分を追い立て、自分を責めてばかりいる人がいます。
しかし、「なぜ、そうしなければならないのか」という理由を考えてみてください。つまるところ、「他人に見くだされるのが悔しいから」ではないでしょうか。
できるかできないかの問題ではなく、自分の価値の判断を最終的に他人にあずけていることが問題なのです。

他人の目を気にするということは、大切なことではあります。他人とのかかわりを無視して自信をもつことはできません。
他人からの評価をフィードバックさせ、それを生かして、自分が改善すべきところは改善していくべきです。
しかし、最終的な判断は自分によって下さなければなりません。

他人から「こうしなければならない」と言われても、それが自分のためにならないと思うなら、そうする必要はないのです。ただし、その人から認められることはあきらめなければなりません。
どちらがよいかを選ぶのは自分自身です。
また逆に、いくら自分がよいと思ってやっていることでも、それは単に「自分がよいと思っているだけ」にすぎません。「私はこんなによいことをしているのだから、他人は認めてくれるべきだ」などと思い上がってはいけないのです。
他人が認めてくれるかどうかは、他人が決めることです。

何ごともできないよりはできるほうがよいに決まっていますが、できたほうが自分が楽になる、自分が得をする、ただそれだけのことです。得をしないことは罪悪でも何でもありません。
できなくても、「今はできないが、少しずつできるように努力していこう」と、向上心をもっている自分を認めれば、それでよいのです。
できないことだからこそ、努力してみて、「できるようになれば儲けもの、ダメでもともと」です。向上することはあっても、落ちることはないのですから、気楽に考えればよいのです。

悪循環はどこかで断ち切らなければなりません。
「努力したのに、認めてもらえなかった」ではなく、「認められるよう、努力した」。
最終的な着地点は、自分の行動、自分の意志でなければなりません。

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