No.223『自分本来のあり方を知る』

たかたまさひろの本 累計28万部

リラックスブック

こころのおそうじ

こころが休まる本

「私は木が好きだ。与えられた生き方を、ほかのものたちよりもずっと素直に受け入れているように見えるからである」
アメリカの作家、ウィラ・キャザーの言葉です。

木は、地中に根を張り、枝を伸ばし、葉を茂らせ、与えられた生命を精一杯に生きています。
人間のように、ほかのものを傷つけたり、無理に背伸びをしたり、誰が一番偉いかなどと争ったりせず、ただ木として、それ以上でもそれ以下でもなく、あるがままの姿で立っています。
私たちは、木に学ぶべきところがたくさんあります。

もちろん、それだけに木は無力です。危険な目に遭っても、逃げることはできません。
人間に切り倒されることもありますし、災害などの不可抗力によって倒れたり、朽ち果てたりすることもあります。
そんな生き方はつまらないと思われるかもしれません。

しかし、無力という点では人間も同じなのです。
少なくとも木は、たとえ切り倒される運命にあったとしても、最後の最後まで生をまっとうしようとします。自ら倒れたり枯れたりすることはありません。
人間も、心ない人に傷つけられることもありますし、病気や事故、犯罪の被害などの不運に見舞われることもありますが、それ以上に、不安や絶望に駆られて、自分から生きる力を衰弱させてしまうことのほうがはるかに多いのです。
自分で自分を傷つけてしまう人間は、木よりも弱い存在なのかもしれません。

人はときどき、受け入れがたいほど厳しい現実に向き合わされることがあります。
どんなにあがいても、どうしようもないこともあります。
それ受け入れられるかどうかが、幸福と不幸の分かれ目だと言ってもよいでしょう。

「どうしようもないことを受け入れる」といっても、ただ何もせず、流されるままに生きればよいというのではありません。自分を殺して他人に迎合するということでもありません。
何ごとにも挑戦し、精一杯の努力をしてみて、はじめて「どうしようもないこと」が本当にどうしようもないことだと判るのです。
自分を限界まで試し、失敗や挫折を経験してみないことには、自分の大きさがどれほどのものかということは判りません。
最大限の努力をした人だけが、謙虚に分をわきまえることができるのです。
( ↓ つづく )

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「分をわきまえる」ということは、自分に見切りをつけるというような否定的な意味ではなく、自分の力で変えられるものと変えられないものを区別する賢明さをもつということです。
誰にでも、できることとできないことがあります。
おごりもせず、ひがみもせず、自分ができることには自信をもち、できないことには謙虚になる。つねにそう心がけていれば、怖れも憂いもありません。

世の中には、他人に勝つことだけにしか興味のない人がいます。
そんな人と張り合うことはありません。
他人を見くださなければ気がすまない人というのは、そうでもしなければ他人の関心を引くことができない、かわいそうな人です。どれだけ他人に勝とうとも、はじめから自分の弱さに負けているのです。
そういう人には、気前よく勝ちをゆずっておきましょう。そんなものは本当の勝利ではないのですから。

怒りも憎しみも嫉妬も、「自分は他人よりも優れた正しい人間である」と思うことから起こります。
自分がどういう人間かが判っていないから、いつどこから攻撃されるか判らないという不安に怯え、必死に自分を守ろうとしてしまうのです。
しかし自分を守ろうとすればするほど、敵を増やし、身動きがとれなくなって、かえって不自由になってしまいます。

けなされても腐らず、褒められても浮かれず。
木に生まれたものは木として、鳥に生まれたものは鳥としての生をまっとうするように、あるがままの自分を生きる。
私たちが努力して到達すべき点は、他人に勝つことではなく、多くのものを手に入れることでもなく、「自分がどういう人間であるかを知る」ということではないでしょうか。
自分を無理に変えようとするのではなく、「自分に与えられたものをどう生かすか」ということを第一に考えることが重要です。

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