No.199『皆、助け合って生きている』

たかたまさひろの本 累計29万部

リラックスブック

こころのおそうじ

こころが休まる本

失業した親が、子供には惨めな思いをさせたくないからと、無理をして、子供がほしがるものを何でも買い与えて甘やかします。
しかしそれは、子供を思う親心ではなく、「子供に嫌われたくない」という親の自己愛にすぎません。

子供が成長して大人になり、同じように生活に困ったとき、自分の力で切り抜けられるだけの力を育ててやることが、本当の親心です。
失業した父親は、子供に堂々と、「お父さんもがんばって新しい仕事を探すが、お前たちもしばらくの間は、ほしいものを我慢し、アルバイトなどをして家計を助けなさい」と言えばよいのです。
困っているときに助け合わずして、家族と言えるでしょうか。

学校でいじめられている子供が、「親に心配をかけたくないから」と、いじめられていることを親には内緒にし、ひとりで悩み苦しみ、精神的に追いつめられていきます。
しかし、「親に心配をかけたくない」というのはきれいごとの言い訳にすぎず、本当は、「格好悪い自分をさらしたくない」か、あるいは「親を見くびっている」かのどちらかなのです。

親が我が子を心配するのは当たり前です。
子供がいじめにあっているなどという大変なときに、助けてくれない、心の支えにもなってくれない親が、親だと言えるでしょうか。
そのように思わせた親にも問題はありますが、子供は親を信頼し、困っているときは困っていると打ち明けるべきなのです。
困っているときにこそ、家族の愛情が試され、結束は強まります。

「人に迷惑をかけたくない」「人に心配をかけたくない」などと言って、悩みをひとりで抱え込み、苦しんでしまう人がいます。
もちろん、自分でできることは自分で何とかするべきですが、それでもどうしようもないときは、他人の助けを借りてもよいのです(強要してはいけませんが)。

困っていることを他人に打ち明けられないのは、他人を気遣っているからではなく、他人を信頼していないからです。他人の価値を認めておらず、自分の人生に関わってほしくないと思っているからなのです。
相手にとってみれば、そのようによそよそしい態度をとられることのほうが、よほど悲しいことかもしれません。
困っているときは困っていると打ち明け、助けを求めるのも、他人への信頼のうちなのです。

いえ、あえて助けを求めなくても、私たちは皆、多くの人の世話になって生きています。
「私はひとりぼっちだ」などというのは、とんだ思い上がりなのです。
どんなに孤独な人でも、誰かが造った住居で暮らし、誰かが縫製した衣服を着て、誰かがつくった食べ物を食べ、誰かに安全を守られ、誰かにごみや汚水を処理してもらい、誰かが供給してくれた水を飲んで生きています。
多くの人が働いてくれているおかげで、私たちは、きょう一日を生きられるわけです。

「皆それぞれに、お金を稼ぐために勝手に働いているだけだ。別に頼んだわけではない」と反論する人がいるかもしれません。
しかし、そういう人たちがいなければ生きていけないのも事実です。
人が働くのは、もちろんお金を稼ぐためでもありますが、ただそれだけではなく、世の中の役に立ちたいという思いもあるはずです。
そういう人たちの思いをくみ取り、もっと感謝してもよいのではないでしょうか。

自分がいま生きているということは、何かを消費しているということです。お金を払ってものを買えば、売った人からは感謝されるでしょう。
人は皆、生きているかぎり、誰かの世話になっていると同時に、誰かから感謝されているのです。
世の中のすべての人は、動物や植物も含めて、大きな命のつながりの一役を担っています。
けっして誰もひとりぼっちではありません。

互いにもちつもたれつ、自分が困ったときは他人から助けてもらい、他人が困っているときは助けてあげる。それが健全な人間関係であり、社会の成り立ちです。
「私はひとりぼっちだ」と心を閉ざしている人は、他人への感謝を忘れている人です。
自分がどれだけ多くの人の世話になっているかを考えれば、自分も他人のために何かをせずにはいられないと思うはずでしょう。

何をすればよいのかが判らなければ、つねにまわりの人に感謝の気持ちをもち続けるだけでもよいのです。心からの思いというものは、きっと相手に伝わります。
他人に感謝するということは、その人の存在価値を認めるということです。人にとって何よりもうれしいことは、感謝されるということです。

「私はひとりぼっちだ」と悩んでいる人は、毎晩寝る前に、「きょうもたくさんの人のおかげで無事に生きられた」と手を合わせることを習慣づけてみましょう。
きっと考えは変わり、行動にも表れるはずです。

No.190 - 199
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