No.184『怒りを感じたとき』

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不快な感情の中でも、ストレスの原因となるもっともやっかいな感情は、怒りです。

すぐにキレる人というのは、怒りっぽいというよりは、「怒りはみにくい感情である」と潔癖に思い込んでしまっている場合が多いものです。
怒っている自分を受け入れることができないという嫌悪感が、ますます怒りの火に油を注いでいるのです。
「私だって本当は怒りたくなんかないのに、他人が私を怒らせるようなことをするからいけないのだ」ということを判ってもらいたくて怒るのです。

不快なことがあったとき、その事態が改善されなくても、誰かに気持ちを理解してもらえれば、怒りはそれほど大きくならないものです。
怒りは、原因となった対象そのものに対してよりも、「誰も自分の気持ちを判ってくれない」という不満によって引き起こされます。

しかし、いつも腹を立てている人は、ますます他人に相手にされなくなるという悪循環に陥ってしまいます。
狼少年が本当のことを言っても誰も信じてくれないのと同じように、いつもカリカリしている人は、たまに正当な主張をしても、「またいつものように怒っている」と思われ、誰もまともに耳をかしてはくれないのです。

怒りは、その場しのぎでごまかしても、とめどなくわき上がってきて、自分を苦しめ続けます。
「ごまかさず、勇気を出して問題の根本と向き合ったほうが楽ですよ」と、心の内なる声が訴えかけているのです。
怒りに苦しんだときは、自分が成長するための試練だと受け入れましょう。他人に試されているのではなく、神様に試されているのだと考えると、気分も楽になります。

怒りは不快な感情ですが、自分にまったく非がないのであれば、自分が嫌になるということはありません。
自己嫌悪をともなう怒りは、劣等感に根ざしていることが多いものです。
「何でも完璧にこなさなければ、他人に認めてもらえない」と思い込んでいる人は、他人のいい加減さを許すことができません。
見捨てられる不安に怯え、びくびくと他人の機嫌をうかがっている人は、他人も自分の機嫌をとってくれることを過度に求めます。

同じことをされても、怒る人もいれば怒らない人もいます。
人は、心の中の触れられたくない部分を刺激されたとき、必死に自分を守ろうとして怒りを感じるのです。
他人の言動は他人の問題ですが、自分の感情は自分の問題です。

他人への怒りを感じたときは、「自分と較べて、相手はこうである」と、自分の主観で、自分の尺度をもとにして批判しているにすぎないということを忘れてはいけません。
10人いれば10通りの尺度が存在します。
もちろん、自分なりの尺度をもつということは重要ですが、「他人も皆、自分の尺度に合わせるべきだ」という押しつけはよくありません。

他人を責めるにしろ、自分を責めるにしろ、責めることによって問題は解決できません。
他人を責めるのではなく、自分の気持ちを伝える努力をする。自分を責めるのではなく、自分の本心と正面から向き合う。
他人との良好な関係を築くために、また自分自身とうまくつき合うために、今後どうすればよいかということを考えるべきです。

自分の不満が正当なものであり、他人に理解してもらいたいのであれば、それを正しく表現しなければなりません。
怒ることが悪いのではありません。ただ感情のおもむくままに怒りをぶつけ、解決するための建設的な努力をしようとしないことがいけないのです。
相手の感情にも配慮しながら、自分の言いたいことを言う、ということを心がけましょう。

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