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メッセージ [ No.150 - 159 ]

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No.150 『ありのままの欲求に従う』

心の安定には、「独立性」と「順応性」のふたつが必要です。
精神が独立しておらず、他人に依存ばかりしている人は、つねに他人の賞賛を求め、承認がえられなければ激しい不安に悩まされてしまいます。
また、まわりに順応できない人は、頑固で融通がきかず、他人と衝突しても自分の主張を譲ろうとせず、孤立してしまうことになります。

「独立性」と「順応性」は、相反することのように思われそうですが、これらは、互いに深く関わり合っており、両立しうるものです。
独立している人だけがまわりに順応することができ、また、順応ができなければ独立することもできません。
(つづく)

No.151 『自分の気持ちに責任をもつ』

他人から嫌な思いをさせられたとき、ささいなことであっても、深く根にもってしまうことがあります。
それがささいなことであればあるほど、根にもっているという自分の狭量さを認めたくないために、ますます相手への恨みを募らせてしまいます。
怒りというみにくい感情に支配されてしまったのは、自分の心がみにくいからではない、すべては相手の責任なのだ、と徹底的に相手を悪者にしなければ気がすまなくなるのです。

恋人が浮気をしているのではないかと疑い、嫉妬に苦しんでしまう人は、嫉妬という感情が見苦しいものであるということが判っているので、なおさら相手の不実を暴くことにやっきになってしまいます。
嫉妬心を抱かせた相手が悪い、ということにしたいのです。
(つづく)

No.152 『自分の幸せを自分で判断する』

人は誰でも、幸せを求めて生きています。
しかし、なかなか思い通りの幸せは手に入らず、落胆したり、悲しみに打ちひしがれたりすることもあります。
幸せを求め続けることは、人間として当然かつ重要な権利です。未来への希望がなければ、人は生きていけません。

しかし、「こうなれば幸せ」という考えは、「そうでなければ不幸せ」と、自己の根元的な価値を否定する危険もあわせもつことになります。
自己を否定したまま幸福を求めることは、えてして虚栄や高慢に惑わされがちです。
(つづく)

No.153 『行動は能動的に、心は受け身に』

愛情の深さとは、他人からどう扱われるかではなく、自分が他人とどう接するかという態度によって表れます。
好きな異性ができたとき、高価なプレゼントを贈ったり、せっせと世話を焼いたりして、何とか相手の好意を引こうとする人もいるでしょう。
しかし、それは厳密に言えば、相手への愛情ではなく、自分に関心をもってほしいという欲求にすぎません。
何とか相手を振り向かせよう、相手に自分を好きだと言わせよう、と積極的に働きかけることを愛情の深さだと勘違いしてはいけません。

本当に人を愛している人は、もっぱら受け身に徹するものです。
「受け身」といっても、自分の欲求や感情を押し殺すことでも、主体性をなくして相手の言いなりになることでもありません。
相手への好意や感謝の気持ちは精一杯表現するのですが、それだけで目的は達成されており、相手に何も求めないのです。
つまり、よい意味で「自分のことしか考えていない」のです。「自分が何をすべきか」ということが、愛情のすべてなのです。
(つづく)

No.154 『成長するためには安全が必要』

人間には誰でも、成長したいという欲求があります。
成長するためには、多少のリスクを冒してでも、殻を破って新しいことに挑戦しなければなりません。
しかし、それによって、自分の安全があまりに大きく脅かされるのであれば、成長の欲求は抑えられます。人はどうしても、成長よりも安全のほうを求めてしまうものなのです。

戦後数十年間の高度経済成長期は、日本独特の制度である終身雇用と年功序列というふたつの柱によって支えられていたといいます。
新しい技術を取り入れても古い技術者が職を奪われることはない、また失敗しても会社を追い出されることはない、という安心感があるから、次々に新しいことに挑戦することができました。
成長するためには、まず身の安全が守られなければなりません。
(つづく)

No.155 『損をしている人はいない』

恋人が自分を真剣に愛してくれないと嘆いている人は、まず、自分が相手を真剣に愛しているかを見つめ直さなければなりません。
他人に要求するからには、自分も完璧にできていなければいけないのです。

人を愛するということは、相手の立場になって考え、相手の考え方を尊重し、相手の幸せを願うことです。けっして、「自分をどう扱ってくれるか」で相手を評価するということではありません。
「せっかく愛してあげているのだから、自分も愛されなくては損だ」としか思えないなら、自分の愛情も本物ではないのです。

相手がどれだけ愛してくれているかを考える前に、「よけいに愛してしまったほうが負け」という姿勢自体を改めなければなりません。
すなわち、「恋人が自分を愛してくれない」という不満は、そもそもの前提が間違っており、どれだけ悩んでも解決できない問題なのです。
(つづく)

No.156 『悪い感情を引きずらないために』

他人に傷つけられても、はっきりと自我に目覚め、意志をもって生きている人は、まだ幸福だといえます。
もっとも不幸な人生とは、他人のご機嫌をうかがい、気を遣うばかりで、自分が何をしたいのかが判らない虚しさの中で生きることです。

恋人からひどい暴力を受けたり、浮気を繰り返されたりと、明らかに悪意をもっておとしめられているのに、「きっと本当は優しい人なのだ」と相手を美化して、けな気に耐えている人がいます。

相手の悪意さえも受け止めるだけの寛容さがあればよいのですが、それほどの意志も覚悟もなく、「いったい、いつになったら私の気持ちを判ってくれるのか」と相手にからみ続け、結局裏切られては、人間不信と自己嫌悪にさいなまれるという繰り返しなのです。
他人の欠点に目をつぶるということは、相手の人間性を尊重する気持ちがあってはじめて成立することであって、「本当は文句を言いたいが、嫌われるのが怖いから我慢する」というのでは、被害者意識と無力感に悩まされるだけです。
(つづく)

No.157 『幸せな人の恩恵に浴する』

私たちは、ついまわりの他人と自分を較べて嫉妬してしまいがちです。
自分よりも社会的地位の高い人、自分よりもお金をもっている人、自分よりも友人の多い人、自分よりも楽しそうな恋愛をしている人……。
嫉妬とは、自分よりも恵まれている他人を引きずりおろしたいという心理です。

世界中の人が、条件による優劣だけで幸福の尺度を判断していたら、どうなるでしょうか。
仮に、あなたが世界一の幸せ者だとします。
他人は皆、あなたに嫉妬し、何とかあなたの幸福を奪おうと虎視眈々と狙っていることでしょう。
あなたは、多くの人の非難、中傷に耐えなければなりません。他人を誰も信用することができず、片時も心の安まることがないのです。
(つづく)

No.158 『正しい欲求に従って生きる』

友人たちと会話をしているとき、明るいノリについていけない、自分だけが浮いているような気がする、と悩んでいる人は多くいます。

特に青年期においては、善悪や正否は二の次で、「場になじむこと」が最重要視されることがあります。多感な時期の青少年には、「場から追放されること」は、死刑の宣告にも等しいくらいに厳しいことのように思えてしまいます。
友人たちの輪から取り残されないよう、必死で陽気に振る舞いながらも、心の中は疲れ、冷めているのです。そして、つねに仮面をかぶって他人と接している自分に嫌悪感を抱いてしまいます。

陽気に振る舞えない人は、きっと、陽気に振る舞うことに向いていないのでしょう。
明るく陽気にしゃべることだけが人付き合いではありません。もともと陽気な性格の人は、もちろんそうすればよいのですが、人それぞれ性格は違うのですから、自分に合った表現の仕方をすればよいのです。
(つづく)

No.159 『不快な感情を適切に処理する』

ある人は、友人がいつも皆の前で自分を笑いものにしていることに腹を立てています。
といっても、友人は本気で自分をバカにしているわけではなく、冗談まじりに話しているだけで、皆も楽しそうに笑っています。

彼は、そんな些細なことで腹を立てて場の雰囲気を壊すのも大人げないと思い、なかなか友人に文句を言うことができず、愛想笑いをしてごまかしてしまいます。
しかし、やはりバカにされることは悔しいので、ストレスはたまる一方で、だんだん友人を避けるようになってしまいました。

彼の問題点は、文句を言えないということではありません。
文句を言ったほうがよいかどうかは、本人の性格や考え方にもよるし、友人との関係にもよるもので、一概にどちらが正しいとはいえません。
(つづく)

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