No.149『自分を抑圧しない』

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引っ込み思案で、好きな異性の前でうまく話せない、友人との会話が続かない、と悩んでいる人は、「もっと度胸をつけて、人前で臆せず話せるようになりたい」と思っているのかもしれません。
大胆にならなければ他人と対等にわたり合えない、と思い込んでいるのでしょう。
しかし、怖がってはいけない、と自分に言い聞かせれば、ますます怖れを意識してしまい、それを克服できない自分に嫌気がさしてしまいます。

他人と健全な関係を結ぶのに、大胆になる必要はないのです。
恥ずかしがり屋の人が、下手に強がった態度を見せても、居丈高で嫌味な印象を与えるだけです。

他人の前で恥ずかしがること自体は、別に悪いことではありません。
「控えめで誠実な人」と、よい印象をもたれている場合も多いものです。
当人が、恥ずかしがることを恥ずかしいと思うことが問題なのです。

人前でうまくしゃべれなくても、それをバカにする人はあまりいないでしょうが、「どうせ皆、こんな私を見くだしているのだろう」と卑屈に警戒ばかりしている人は、バカにされるかもしれません。

対人関係における緊張、ストレスは、自分のありのままの感情を抑圧しようとすることによって引き起こされます。
自分の欠点を認め、他人に学ぼうとする姿勢は、謙虚であり、よいことです。
しかし、自分の欠点を認識しながらも、それを受け入れようとせず、他人に悟られまいとして虚勢を張れば、大きなストレスとなります。

ある人のことを憎んでいるのに、自分が心のみにくい人間だと思われたくないばかりに、まったく憎んでいないかのような素振りを見せること。
愛情を求めているのに、拒絶されるのが怖くて、わざとこちらから拒絶し、相手を試してしまうこと。
まったく楽しんでいないのに、暗い人間だと思われたくなくて、明るくはしゃいでしまうこと。
自己嫌悪とは、自分自身の心に嘘をつくこと、また、それを自覚していないことから生じるもやもやした歯がゆさなのです。

「自分のありのままの感情を大切にし、ありのままの自分で他人と向き合うこと」以外に、心のよりどころとなるものはありません。
自分の劣等感をごまかすために、富や地位を得たり、知識をひけらかしたり、他人を怖れさせるような威圧感を示したりしても、ありのままの自分を抑圧しているかぎり、心が安らぐことはありません。

自分を偽ってしまう原因は、他人から見捨てられる恐怖です。
見捨てられないために、他人の感情を先回りして読み取り、自分が何を求められているかを予測し、相手の期待にそうように努力してしまうのです。
他人と付き合うということは、楽しみのためでも安らぎのためでもなく、「相手に幻滅されないよう、期待に応えること」だと思い込んでいるのです。

自己の価値を認められる人は、他人の承認を求めたりしません。
「他人が自分を認めてくれない」という不満を抱えている人は、自分で自分を認めていないのです。自分にできないことを、他人がしてくれないからといって非難しているのです。
他人にそこまで完璧を求めてはいけません。

自分がある人から裏切られたり、ないがしろに扱われたりすれば、自分は少なくとも、その人にとってはそれだけの価値しかなかったということです。それはいさぎよく認めなければなりません。
だからといって、自分で自分の価値を否定することはありません。あくまで、「その人から見て」というだけのことです。
自分が相手をどう思うかが自由であるのと同様に、相手が自分をどう思うかも自由です。いちいち気にしていたらきりがありません。

自分の正直な気持ちに従い、たとえ10人から見捨てられたとしても、見捨てられる恐怖に怯えながら100人と表面的な付き合いをするよりは、はるかに活き活きとした人生を送ることができます。
相手を気遣いながらも、自分の気持ちを正直に伝えられてこそ、他人と対等に、豊かな関係を築くことができるのです。

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