No.137『自己愛をうまく活かす』

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心豊かに生きるためには、「自分を愛すること」が必要不可欠です。
しかし、この自己愛というものが非常にやっかいで、行き過ぎたり、活用の方法を誤ったりすると、かえって自分を苦しめることとなってしまいます。
「自己愛の強すぎる人」には、ふたつの型があります。
積極的に自己を顕示しようとするタイプと、逆に自分の殻に閉じこもってしまうタイプです。

顕示型は、外面を着飾ったり、自慢話をひけらかしたりして、あからさまに賞賛を求めるので、よけいに敬遠されてしまいます。判りやすい分、対処法は比較的容易だといえます。
自分を認めてほしいという欲望と、自分を押しつけすぎれば嫌われるという葛藤のはざまで、どこで折り合いをつけるかという問題にすぎません。

一方、自己愛を覆い隠してしまう潜伏型の場合は、解決が困難であるどころか、問題の存在さえ意識されないことも少なくありません。
このタイプの人は、まわりからは謙虚な人と思われ、当人でさえも、よもや自分が異常なまでに自己愛が強いだなどとは思ってもいないのです。

まわりの人は、何も言わないから不満がないのだと思って気にもかけないので、当人は誰にも理解されないという不安に苦しめられます。
不満がないからおとなしいのではなく、不満があっても口に出せず、胸にためこんでいるだけなのです。

他人に心を開けないのは、自分の価値を見いだせないのではなく、むしろ自分を過大評価して、その肥大化した自己愛を壊されることが怖いからです。
当人もそれはうすうす感じているので、他人からさとられないように、また自分でも意識しないように、必死で打ち消そうとしています。
他人から嫌われることを極度に怖れるのは、異常なまでの自己愛という触れられたくない恥部を自覚させられることへの怖れなのです。

いくら自分をごまかして解決を先延ばしにしても、事態は悪化する一方ですので、まずはっきりと自分の心に潜む自己愛を認めなくてはなりません。
自分に関心をもつということは、悪いことでも何でもありません。自己愛のない人は、良心も品性もないただの空っぽな人間です。

自己愛は人間にとって非常に重要なものです。それをどのように活かすかということが問題なのです。
まず、自分の自己愛をはっきりと認めましょう。

自己愛の強すぎる人は、他人と会話をするとき、「うまく話さなければいけない」と極度に気を張りつめてしまいます。
会話を楽しむことが目的ではなく、「成功しなければ、楽しめない」と思い込んでいるのです。
そして、結局、何を話せばいいのか判らなくなり、口ごもってしまって、「ああ、つまらない人間と思われただろうな」と悲観することになります。

食欲をみたすことは誰にとっても大きな楽しみですが、何を食べようかとあれこれ迷うことも楽しみのひとつであり、「何を食べればよいのか判らない」と言って落ち込んでしまう人はいません。
会話も同様に、自主的に楽しめばよいのですが、自己愛の強すぎる人は、就職の面接のように、何を話すかによって自分が試されているように感じてしまうのです。
「自分は、楽しい話をすることを期待されている」という過剰な自意識が原因です。

ムカデは、自分の足と足がぶつからないように、動かすタイミングを微妙にずらして、器用に歩いています。
ある日、意地悪なキツネに「そんなにたくさんの足をどういう順番で動かしているんだい」と尋ねられ、それ以来、ムカデは歩くことができなくなり、飢え死にしてしまった、という説話があります。

歩くことは、移動するための手段にすぎないのに、「見られている自分」を意識した途端、上手に歩かなければならないと緊張して、足がからまってしまったのです。
大切なのは目的であるのに、手段そのものをそつなくこなすことにとらわれすぎれば、本来の目的を見失ってしまい、主客転倒となってしまいます。

「他人から尊重されたい」という欲求を満たすには、「いかに尊重されるか」というこだわりを捨て、まず、自分が尊重されたいように他人を尊重しなければなりません。
はじめは勇気がいることかもしれませんが、それが一番の近道なのです。

自分が褒められたいように他人を褒め、気を遣ってほしいように気を遣ってあげてみてください。十人のうちひとりでも愛情を返してくれる人がいれば儲けもので、その積み重ねが自信につながります。
「他人から尊重される人」よりも、「他人を尊重することができる人」のほうが、百倍もすばらしいのです。
自分が他人を尊重することは、誰からも侵されることのない、揺るぎない自信へとつながります。

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