No.130『努力の方向を考え直す』

たかたまさひろの本 累計29万部

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こころのおそうじ

こころが休まる本

いつも自信満々で、自分は皆から好かれていると思い込み、誰にでも馴れ馴れしく接するうぬぼれ屋というのは、まわりからは煙たがられます。
同様に、「どうせ自分は他人から嫌われている」と言ってばかりいる人も、わずらわしいものです。
両者とも、「他人は皆、自分に関心をもつべきだ」と押しつけている点では同じなのです。

自分に自信のない人は、他人のちょっとしたしぐさや何気ないひと言をいちいち気にかけてしまうので、他人も自分の細かい言動に目を光らせているに違いないと思い込んでいます。しかし、実際は、他人はそれほど自分のことなど気にかけてもいないものです。
「自分は嫌われてはいないだろうか」といつも気にかけている人は、充分すぎるほどまわりに気を配っているので、他人から嫌われる確率は、ほかの人に較べれば断然低いはずです。少しぐらい図太くなっても、まったく問題はないのです。

「嫌われたくない」という思いが、ますます人付き合いを苦しくします。
ふつう、人は、無意識のうちに他人との親密度をレベル分けして、それぞれのレベルに合わせた付き合い方をしています。恋人や親友などには胸襟を開き合い、それほど親しくない職場の同僚や近所の人とは、ほどほどに距離を置いて付き合っています。

しかし、人付き合いの苦手な人は、いい加減な気持ちで他人と付き合ったり、いやいや付き合ったりすることに罪悪感を抱いてしまいます。
付き合うからには完全に心を開き、相手を好きにならなければいけない、と意気込んでしまうのです。100パーセントか0パーセントのどちらかしかないのです。
自分がそう思うだけならまだしも、相手にもそれを要求するから、かえってうとまれる結果となってしまいます。

もちろん、真剣に他人と付き合いたいという誠実な態度は、間違ってはいません。それだけを取り上げて考えれば、純粋で真っ正直な気持ちであるといえます。理屈では間違っていないからこそ、たちが悪いのです。
自分で勝手に苦しみ、独り相撲をとっておきながら、「私はこんなに苦しんでいるのだから、その気持ちを理解してくれてもいいではないか」という不満ばかりが募ってしまいます。

人にはそれぞれ好みがあり、気の合う人、合わない人がいます。
自分に自信のない人は、他人とうまく付き合えないことをすべて自分のせいだと思い込んでしまいます。「気が合わない」というのは、お互いさまであるのに、自分だけが悪いと思ってしまうのです。

自分は不幸だと思い込んでいる人は、不幸を嘆いていながら、実は不幸にしがみつき、そこに安住しています。
いくら「あなたは幸せなのですよ」と言われても、それを認めてしまえば、自分が何に対してもやる気がなく、いつもイライラしていることへの言い訳ができなくなるので、「そんなはずはない。私は不幸に決まっている」と言って譲らないのです。
不幸の原因はさまざまですが、行き着くところは共通しています。「自分の気持ちを誰も理解してくれない」という不満が、「自分は不幸である」という観念を生み出すのです。

「思い込み不幸」から脱するためには、まず、嫌なことを嫌なこととしてありのままに受け入れなくてはなりません。
不幸を嘆き、愚痴ばかりこぼしている人は、本当は、嫌なことを受け入れていないのです。「自分の人生に嫌なことがあってはならない」と、潔癖に排除しようとし、それを解決できなければ自分の本当の人生は始まらない、と思い込んでいるのです。
「嫌なことも含めて、自分の人生」と受け入れてはじめて、「嫌なこともあるけど、探してみればいいこともたくさんある」と、前向きに考えられるようになります。

自分を不幸だと思い込んでいる人は、神経質で生真面目な人が多いので、「まだまだ自分は努力が足りないのだ」と自分を責め、追い込んでしまいがちです。そういう人は、努力が足りないのではなく、その方向が間違っているから空回りしているだけのです。
これまで「嫌なことを避けるため」に使っていたエネルギーを、「嫌なことを受け入れる」ことに使ってみましょう。
どんな不運が起ころうとも、自分の意志で、自分の責任において、自分で選択した人生を生きていれば、けっして悲観することも絶望することもありません。

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