No.129『まず、自分を大切にする』

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人を愛することは、無条件にすばらしいことです。
しかし、この愛という言葉の不思議な魔法が、ときに私たちを惑わせ、苦しめることもあります。「愛している」という金科玉条をもち出せば、何でも正当化されるように思えてしまうのです。
「私はあなたを愛しているのに、なぜそれに応えてくれないのか」
「こんなにも愛しているのに、どうして私は報われないのか」

他人に何かを要求することも、他人を批判することも、愛というオブラートに包めば、きれいごとに聞こえてしまいます。
人を愛するということは、豊かな人生を送るためにぜひとも必要なことですが、また一方、自分がそうしたいからしているにすぎないのだ、ということも忘れてはいけません。
他人に喜んでもらうことも、他人の幸せを願うことも、結局は、「そうすることが、自分にとってうれしいことだから」しているのです。

他人に大金を要求し、「私はこんなにもお金をほしがっているのに、なぜあなたは分け与えてくれないのか」などと批判しても、筋は通りません。
同様に、「愛」も自分がほしいから要求しているにすぎないのです。他人が与えてくれないからといって、責めることはできないし、また悲観する必要もないのです。

腹がへっているとき、他人からパンを奪えば、当然、他人の怒りをかうことになります。そういうことを繰り返していれば、信用を失い、社会からつまはじきにされ、結局は自分の首をしめることになってしまいます。
ふつう、私たちが、他人のものを奪うことをしないのは、もちろん、良心や正義感からでもありますが、それ以前に、「他人のものを奪えば、かえって損をすることになる」ということが判っているからです。

誰かに愛されていないと不安で仕方がない。愛は要求するものではないと判っていても、つい愛を求めてしまい、それが得られないときは相手を非難してしまう……。
そう悩んでいる人も、それを自分の人格の問題と考えず、はじめのうちは、単に「損得」という打算で割り切って考えればよいのではないでしょうか。

どれだけ一方的に愛を要求し、また、愛してくれない人を批判しても、心から愛されるということは絶対にありませんし、何も得することはありません。それどころか、ますます他人からうとまれてしまいます。「自分にとって損だから、やめよう」ということでよいのです。
他人をうまく愛せないという人は、「愛」というものをあまりにも神聖視しすぎているのです。
あまり堅苦しく考えず、まずは、自分の得のためと気楽に考えてみましょう。

人は誰でも、自分がかわいいものです。
「自分を好きになれない」と悩み苦しんでいる人も、本当は、自分が好きで好きでたまらないのだ、ということをはっきり認めなくてはなりません。
自分が嫌いであるなら、どんなに不幸になろうとも、気にもならないはずです。本当は傷つきたくないから、「かわいい自分」を必死で守ろうとして、自分のことで頭がいっぱいになってしまうのです。
ボランティア精神にあふれ、世のため人のために尽くしている人も、それが自分の精神的満足となるから、そういう自分が好きだから、そうしているのです。
自分がかわいいという点では、本質的には皆、同じなのです。

自分が大切だからといって、自分の権利だけを主張すれば、他人との摩擦が生じてしまいます。
自分の得ばかりを考えれば、かえって損をすることになる。だから、他人の欲求も考慮に入れ、うまくバランスをたもつことを考える。
そうしているうちに、やがて、特に意識することなく、自然に他人と付き合えるようになるはずです。

「情けは人のためならず」とは、よく言ったものです。他人に優しくしてあげていれば、巡り巡って自分も他人から愛されることになります。
「自分の得のため」という打算は、浅ましいことのように思われるかもしれませんが、それでも、何もしないで愚痴ばかりこぼしているよりは、よっぽどましです。ひとつのきっかけとして考えてみてください。
幸せとは、自分ひとりで感じるものではなく、他人との結びつきの中で感じられるものです。
本当の幸せは、まわりの人も幸福にします。自分が幸せになることは、きっと他人のためにもなるのです。

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