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たかたまさひろ(著)

No.127『自分の喜びを知る』

好きな人ができても、何を話せばよいのか判らない、どう接すればよいのか判らない、と悩んでいる人はたくさんいます。
他人を愛するとは、具体的に何をどうすることをいうのでしょうか。
「どうすれば相手が喜んでくれるのかが判らない」という人は、自分が何を望んでいるのかが判っていないのです。

「愛は要求するものではない」と言いますが、人が付き合うということは、互いに何かを要求し合うことであるのは事実です。
他人に要求すること自体が悪いのではありません。相手のことを考えず、感謝の気持ちもなく、自分の利益のためだけに一方的に要求するのがいけないのです。
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他人に何かを要求するのは、それが自分にとってうれしいことだからでしょう。本当の喜びとは、自分さえよければいいというものではなく、自分の喜びが相手の喜びになり、また相手の幸せが自分の幸せとなるようなことです。
互いのためになることであれば、おおいに要求し合ってもいいのです。

恋人がどれだけ自分のために犠牲を払ってくれるか、どれだけ高価なプレゼントをくれるか、などという打算的なことでしか愛情を測れない人がいます。
そんな低レベルな欲求が満たされたとしても、それは人間にとって本当の幸せではなく、一時的な優越感にすぎないので、いつまでたっても心は満たされません。

もしあなたが、自分の思い通りにならない他人に不満ばかり抱いているならば、その原因は、あなたの要求するものが間違っているからです。
他人に低レベルな要求しかできない人は、しょせん低レベルな人間にしか相手にしてもらえないのです。

逆に、「私はいつも他人からあれこれ要求される一方で、損ばかりしている」という不満をもっている人もいるかもしれません。
他人から命令されることを不愉快に感じるのは、自分が「言われたことしかやろうとしないから」です。自分からすすんで動こうとせず、他人に言われたことだけをいやいややっているから、自分の行動のすべてが他人に操られているように感じてしまうのです。

他人から何かを要求されたなら、自分の意志で、要求されたレベル以上のことをやってみようと考えればよいのです。「言われたからやる」のと、「自分からすすんでやる」のとでは、大きく違います。
自分からすすんでやったことが他人に喜んでもらえれば、それが自信にもつながります。
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ここで間違ってはいけないことは、決して卑屈に他人のご機嫌をとったり、何でも他人の言いなりになったりするのがよいというわけではない、ということです。
わがままな人からの不当な要求にさえも屈してしまうのは、自分の意志をもっていない証拠です。

「自分からすすんで他人のためになることをする」ということは、「相手の喜びであると同時に、自分にとっても喜びである」ことが前提です。
「私はこれだけのことをやってあげましたよ」などと恩に着せることなく、さりげなく行うのが理想的です。
判ってくれる人は、ちゃんと判ってくれます。判ってくれなくても、それが自分の喜びであれば充分なのです。

他人のために何かをしてあげることが、自分の喜びでもあると感じられるならば、「してやったから感謝しろ」ではなく、「させてくれてありがとう」と思えるようになるはずです。
もしあなたのまわりに、喜ばせてあげたいと思えるような人がひとりもいないのだとすれば、そんな貧しい人間関係しか結んでこなかったことを反省すべきでしょう。

「他人をどう愛せばよいのかが判らない」という人は、「自分がどうされればうれしいのか」を見直してみてください。それが単なる利己心ではなく、互いにとっての幸せであるならば、そして相手への感謝の気持ちを忘れないならば、堂々と要求していいのです。
自分にとっての本当の喜びを知れば、自然に「他人に何をしてあげればよいか」も判るようになるはずです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.120-129
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