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No.120『自分の愛情を見つめ直す』

恋人に何度も浮気をされ、裏切られているのに、好きだから許してしまう。
恋人に暴力を振るわれたり、ひどい言葉を浴びせかけられたりしているが、好きだから従っている。
最近、恋人の自分への愛情が冷めたようで、悔しい。文句を言いたいが、よけいに嫌われるのが怖いから我慢している。
愛に悩み、苦しんでいる人はたくさんいます。

そういう人たちは、「好き」という言葉の意味を勘違いしているのではないでしょうか。あるいは、自分の感情にふたをして、ごまかしているのです。
自分にとって「好き」とはいったい何だろうか、ということを考え直してみてください。
身もふたもない言い方をすれば、相手の美点と欠点とをはかりにかけて、美点のほうが大きいと思えば、それは「好き」であり、欠点のほうが大きいと思うのなら「嫌い」だということです。
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ちなみに、ここで言う美点や欠点とは、自分の価値観に照らし合わせて、という意味です。客観的に人間の価値をはかるものではありません。
おしゃべり好きな人のことを「明るい」と見る人もいれば、「うっとうしい」と見る人もいます。ある人は美点とみなしても、ほかの人には欠点とうつる場合もあるのです。
自分の頭で考え、自分の心に正直に問いかけてみることが重要です。

「好き」とは、自分から相手に「向かう」感情です。相手を引き寄せようとすることではありません。
苦しみ悩むほど相手の欠点が許せないのなら、「好き」ではないのです。
「好き」だと思い込んでいるのは、相手への敬意ではなく、思いやる気持ちでもなく、「私を認めてほしい」という内向きの要求にすぎないということです。

愛情があってこそ、障害を乗り越えようとする意志も生まれます。
相手の欠点を受け入れること、過ちを許すこと、そういう寛容さも、愛情から自然に生まれてくるものです。無理に自分に言い聞かせ、我慢するということではありません。
愛を持続させるためには努力が必要ですが、愛情そのものは、心の内側から自然に沸き上がってくるものであって、無理やりつくり出すことはできません。

愛情もないのに、「相手を許し、すべてを受け入れなければならない」と表面的な愛の形にこだわるのは、まったく的外れなことです。ただ苦しむためだけの努力に意味はありません。
本当はそれほど好きではないのに、それを純粋な愛情であるかのように自己暗示をかけ、自分を美化している人は、心の中では相手を軽蔑しているという後ろ暗さを必死で打ち消そうとしているのです。
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愛に苦しんでいる自分が好きになれないのなら、それは本当の愛ではありません。
自分の思い通りにならない相手を受け入れられないということは、その人のありのままの人格を尊重していないということです。すなわち「嫌い」なのです。
それをいさぎよく認めれば、心が楽になり、相手に腹が立たなくなります。「せっかく私が愛してあげているのに、なぜあなたは、それに応えてくれないのか」という怒りや悔しさが消え去ります。

そして、自分の素直な心に耳を傾け、従うことができるようになります。
好きでもない人に執着するのはやめればよいと思うようになります。
本当に好きな人との愛が実らなくても、相手を恨んだりせず、自分の愛情を大切にできるようになります。
他人に受け入れてほしいと要求する前に、まず自分を受け入れ、自分を愛さなければなりません。
幸せな人とは、自分の心を大切にできる人のことです。

「私は愛される価値のある人間である」とはっきり自覚することは、けっしてごう慢ではありません。
本当は他人に愛されたいのに、自分からは心を開こうとせず、「私を傷つけると許さないぞ」と警戒しながら他人に近づく人のほうが、よっぽどごう慢です。

自分を愛することができる人は、自然に他人も愛することができ、また、他人を愛すれば愛するほど、自分も好きになれるものです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.120-129
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