No.068『依存をやめれば楽しみが生まれる』

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「依存症」と呼ばれる心の病気があります。
アルコールやニコチンなどの依存症は古くから知られていますが、ギャンブルや買い物の依存症というものもあります。
しかし、ギャンブルも買い物も、純粋に楽しんでいるかぎりにおいては、別に問題はありません。家族や周囲に迷惑をかけなければ、自分が稼いだお金をどのように使おうが、その人の自由です。
熱狂的なプロ野球ファンや、車マニアの人なども、自分の楽しみのためなら惜しみなくお金を使います。
依存症との境界線は、どこにあるのでしょうか。

その行為を、もはや楽しみのためではなく、「そうしていないと不安だから」という理由で行うようになってしまえば、それは依存症だと言えます。
依存症の人は、「依存している自分」が好きではありません。後悔と自責の念にさいなまれるのですが、それでもやめられない、というところが問題なのです。

最近は、「メール依存症」という言葉も聞かれるようになりました。
──つねに携帯電話を持ち歩いていなければ落ち着かない。誰からもメールがこない日は、自分だけが取り残されているようで不安だ。
友人たちと、ただの遊びとしてメールのやり取りを楽しんでいるうちはいいのですが、「そうしないと不安だから」と思うようになってしまっては、依存症だと言えます。

アルコールの依存症と同じように、依存からくる不安を、ますます依存を深めることによって紛らわそうとしても、事態は悪化するだけです。依存している間は、一時的に感覚を麻痺させて不安をごまかすことができますが、その間に病はどんどん進行していっているのです。

「いつもメールのやり取りをしていないと不安」なのであれば、逆に「メールのやり取りをしなくても続く友情」を築くことを考えなければなりません。
「携帯電話がなければ疎遠になってしまう友人」は、しょせん、それだけの浅い関係でしかないのです。そんな人にしがみついていても、いつまでたっても不安はぬぐえません。

メールでつながっているだけの友人は、いずれその関係が絶たれるときも、1通のメールで簡単に(あるいは、無視されて)すまされるでしょう。
「毎日メールのやり取りをすることが、友情の証し」なのだとしたら、20年前の人たちは、誰も友人がいなかったのでしょうか。
携帯電話のメモリーの数は、その人の交友の広さ、深さとは関係ありません。むしろそれは、「現実の人間関係に感じている空虚さ」の度合いを示しているのです。

つねに異性にすがっていなければ不安を感じる、「恋愛依存症」と呼ばれる人たちもいます。
相手が浮気をしていないかを心配し、どれだけ自分に気を遣ってくれるかということばかり気にして、裏切られることを極端に怖れています。

恋愛というものは、互いに認め合い、喜びや悲しみを共有し、人生を豊かにするためにするものですが、いわゆる「恋愛依存症」の人は、相手を監視し、警戒し、気に入らないことがあると非難するということのためにほとんどのエネルギーを費やし、心の中はいつも疲れ切っています。
そんなにつらいのならやめればよいのに、当人にとっては、依存の対象を失う不安に苦しむよりは、依存することにより苦しむほうが楽なのです。
その依存の深さを愛情の大きさだと勘違いしているから、自分が間違っているなどとはまったく思っておらず、「自分の気持ちを理解してくれない他人」を責めてばかりいます。

ある駅の駅長さんが、トイレでの客のマナーの悪さに困っていました。
「トイレはきれいに使いましょう」と貼り紙をしましたが、まったく効果はありませんでした。いくら掃除をしても、すぐに汚されたり、落書きをされたりしてしまいます。
ある人の助言で、貼り紙の文面を「いつもトイレをきれいに使ってくださり、ありがとうございます」というものに変えました。すると、それ以後は皆、トイレをきれいに使うようになったといいます。

人は、「何かを要求するため」に他人と付き合うのではありません。喜びのために付き合うのです。
恋愛にすがっていながらも、不満ばかり感じて、それを楽しいと思えなければ、それはただの依存症なのです。
不満の数だけ要求があります。思い切って、他人への要求を抑えてみてください。
これまで見えていなかった喜びに気づくはずです。
要求を抑えるということを、「自分の気持ちを押し殺して我慢する」ことだと考えてはいけません。そこからまた他人への不満が生まれます。
まず自分から積極的に他人を尊重しなければ、自分も他人から認められることはありません。
それは、誰のためでもなく、「自分の幸せのため」なのです。

依存症を治す第一歩は、まずはっきりと「依存している自分」を自覚し、「いくら依存を深めても、絶対に不安は解消されない」という事実を認識することです。
ほとんどの場合、それだけで自然に治ります。

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