メッセージ [ No.300 - ]
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メッセージ [ No.300 - ]

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No.300 『進んで責任をとろう』

何事にもやる気をもてない人は、すぐに「どうせ自分が悪いのだ」と思ってしまう癖がついています。
恋人に浮気をされたことも、友人とケンカをしたことも、仕事がうまくいかないことも、何もかも「自分が悪いのだから仕方がない」と自分を責め、ストレスをため込んで、やる気を失ってしまうのです。

しかし、本当に「自分が悪い」と思うことができる人は、落ち込むどころか、前向きに、行動的になれるものなのです。
自分の人生に起こった問題について、「自分の責任である」と認めるためには、強い精神力が要求されます。それほどの高い自尊心をもった人であれば、謙虚に自分を見つめ直し、自分はどうすべきかを考え、問題を解決すべく新しい行動に移れるはずです。
(つづく)

No.301 『自分の素直な気持ちを言葉にしよう』

孤独感とは、「誰も私のことを判ってくれない」という淋しさ、虚しさです。
実際にどれだけ多くの人と接しているかということは、あまり関係ありません。
100人の友人がいる人でも、「誰からも理解されていない」と感じていれば、孤独なのです。「孤独感」というよりも、「孤立感」「疎外感」と言い換えたほうがよいでしょう。

「誰も私を理解してくれない」という不満をもっている人でも、もし誰かに「私はあなたのことを何もかも知っていますよ」と言われれば、「私は、そんなに簡単に理解できるほど単純な人間ではない」と反感を抱いてしまうのではないでしょうか。
また、「他人に批判されるのが怖い」と言っている人でも、はれ物に触るように扱われれば、今度は「本音で向き合ってくれない」という不満が生まれます。
他人との一体感を求めていながら、自分の心に踏み込まれることを怖れる、という相反する感情が心に渦巻いているのです。
これでは、他人はどう対処すればよいのか判りません。挙げ句には、手を焼いて離れていってしまうことになるのです。
(つづく)

No.302 『他人に裏切られるという不安』

恋人や友人にメールを送ったのに、なかなか返事がこない。自分がないがしろにされているようで、腹が立つ。
そういうとき、いくら相手に「早く返事をよこしなさい」と求めても、互いの関係がよくなるわけではありません。
どれだけ返事が早く返ってきたとしても、「メールの返事がこなければ、すぐに不安になるような関係」であることに変わりはないのです。
そのような「相手に対する不信」こそを見直すべきなのです。

頻繁にメールのやり取りをするのがいけないというのではありません。互いにそれを楽しんでいるのであれば、まったく問題はないのです。
しかし、メールをたくさん送るのが好きな人は、えてして「他人が自分を見捨てようとしていないかをつねに警戒している」という傾向があるものです。
相手を信用しておらず、いつか裏切られるかもしれないと疑っているから、「メールにすぐ返信してくれるか」「こんなメールを送れば、どう反応するか」と、相手の気持ちを試し、確認を繰り返さなければ気がすまないのです。
(つづく)

No.303 『人目を気にせず、堂々と生きたい』

人は誰でも、他人の目を気にするものです。
「他人に見られている」という意識が、心に張りをもたせ、やる気を起こさせます。
他人の目があるから、「恥ずかしいことはやめよう」「嫌われるようなことはやめよう」と自分を律することができるのです。
人目を気にすることは、悪いことではありません。
しかし、「他人とまったく目を合わせられない」「人前に出ると、何もしゃべれなくなる」というほどまでに他人を怖れすぎては、社会生活にいろいろ支障をきたしてしまいます。

「他人の目を気にせず、自然に振る舞いたい」と思えば思うほど、肩に力が入り、ますます他人の目が気になって、態度がぎこちなくなってしまいます。
人目を気にしすぎることに悩んでいる人は、「他人の目を無視しよう」などとは思わなくてよいのです。
世の中には、「もっと人目を気にすればよいのに」と思うほど、厚顔無恥、傍若無人な人たちがいます。
そのような恥知らずな人間に成り下がってはいけません。
他人の目は、充分に意識すべきなのです。
(つづく)

No.304 『毎日が人生の決算日』

あいつのほうが給料が高い。あいつのほうがモテる。あいつのほうが才能がある。
それにひきかえ自分は……。
他人と自分を較べれば、必ず劣等感にさいなまれることになります。
なぜなら、どんなに恵まれている人にも、「上には上がいる」からです。
経済的な豊かさという点において、世界一のお金持ちと較べれば、それ以外の人はみな「敗者」です。
劣等感を取り払う方法は、「他人と自分を較べることをやめる」という以外にありません。

それでも、「他人に勝ちたいという欲求は、人間の本能のようなもので、そう簡単に払しょくすることはできない」と思う人もいることでしょう。
欲求は、たしかに人間にとって必要なものです。
欲求があるから、人間は成長できるのだし、「他人の役に立ちたい」「他人を愛したい」というのも欲求のうちです。
しかし、その欲求によって人間は苦しむのだということも忘れてはいけません。
(つづく)

No.305 『幸せの理由、不幸の理由』

人にはそれぞれ、恵まれている点とそうでない点があります。
あらゆる点において恵まれている人はいませんし、すべてが不幸な人もいません。一見恵まれているように見える人でも、その人なりの苦労や悩みがあるのです。
しかし、自分を好きになれない人、自分を卑下してしまう人は、「私は何もかもが最悪」で、「この世で私だけが不幸」だと思い込んでいます。

そういう人は、幸せが目の前に転がっていても、見えていません。いえ、見ようとしないのです。
「健康な身体があり、住む家があり、家族がいる。与えられたものに感謝すべきではないですか」と言われると、「そんな当たり前のことに感謝などできない」と反論します。
「世の中には、もっと恵まれない立場の人もいるのですよ」と言われれば、「自分より恵まれている人もたくさんいるではないか。不公平だ」と言い返します。
「他人の役に立つことをすればどうですか」と言われれば、「自分のことで精一杯で、他人のことを考える余裕はない」。
まるで、自ら幸せになることをかたくなに拒否しているかのようなのです。
(つづく)

No.306 『小欲を捨て、大欲に立つ』

その昔、ひとりの老人が、一休和尚を訪ねて、祈とうを頼みました。
「私は80歳になりますが、あと20年長生きしたいのです」
一休は答えて言いました。
「たった20年でよいのですか。何と欲の少ない人だ」
老人は驚いて、言い直しました。
「いえ、できればあと40年ほど長く生きたいと思います」
「これは、ますます欲の少ない人だ」
「では、あと100年」

ここで一休は諭しました。
「50年や100年長生きしても、同じことだ。そんな小さな欲ではなく、なぜ永遠に生きようという大きな欲をもたないのだ。御仏は、永遠に生きる道を説いているのだ」
花は散っても、また次の年には咲きます。川の水は流れ去っても、流れは永遠に続きます。
人の肉体は滅びても、また自然に返り、新しい生命の源となります。魂は仏となって、永遠に生き続けるのです。
老人は、一休の言葉によって目覚め、余生をやすらかに生きたそうです。
(つづく)

No.307 『もらったものは、すぐに他人に渡す』

人から愛されたいのに、なかなか愛してもらえない。
受験が近づいているのに、勉強に身が入らない。テストの点数が上がらない。
職場の人間関係がうまくいかない。仕事がつまらない。
精一杯努力しているのに、報われない。自分は無能で、無価値な人間なのか。
人生がうまくいかずに、自己嫌悪に陥りそうになったときは、「何のための努力か」ということを考え直してください。

自分で自分が嫌になってしまう人は、きっと「自分が得をするための努力」を行っているのです。
いい恋人を見つけて、友人に自慢したい。
いい大学に入って、優越感に浸りたい。
いい仕事を見つけて、楽な暮らしをしたい。
(つづく)

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