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たかたまさひろ(著)

No.202『安心できる関係とは』

恋人同士が付き合いはじめのころは、相手に好かれようとして、互いに格好をつけてしまうものです。
ふだんは言わないような優しい言葉をかけ、分不相応に高価なプレゼントをし、頭のいいところを見せようとします。
しかし、長く付き合っているうちに、どうしても気取ってばかりはいられなくなり、嫌な部分も見せ合わざるをえなくなります。

人は、他人に自分の本性を見抜かれることを怖れてしまいがちです。
しかし、安心して付き合える関係というのは、相手に見抜かれることによってしかえられないのです。
見抜かれてから、本当の信頼関係が試されます。
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「自分を見抜かれたら、嫌われてしまうのではないか」という不安を感じてしまうのは、相手を信頼していないからです。
自分の劣等感は、そもそも他人を見くだそうとする優越感の反動から起こります。
太ったら嫌われてしまうのではないか……。学歴が低いことを知られたら……。恋愛経験がないことを知られたら……。
「相手は、その程度のことで他人を見くだすような冷たい人間だから」と、自分が相手をさげすんでいるのです。

聖書に次のような言葉があります。
「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」
自分が他人からどう思われているかということは、自分が他人をどう見ているかをそのまま反映したものなのです。
他人から嫌われることの不安から逃れるには、まず自分が他人を見くだすことをやめなければなりません。

「太ったら恋人に嫌われてしまう」と怯えてしまうのは、自分が現に太っている人のことをみにくいと見くだしており、「ああなりたくはない」と思っているからです。自分が他人をバカにしているから、逆にバカにされることが怖いのです。
他人を見くだせば、自分自身も「バカにするか、されるか」の戦いの中に身を投じなくてはならなくなります。

恋人に自分の弱点を見抜かれることによって、嫌われてしまったとしても、それは愛情を失ったわけではありません。
「互いにもともと愛情などなかった」ということに気づいただけなのです。
「他人に自分の本性を見抜かれたら、人生は終わりだ」という不安に怯えている人は、すでにそう怯えている時点で終わっています。
そして、それに気づいた人は、同時に救われています。もう怖れる必要はないのですから。
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自分を飾れば飾るほど、幻滅されることへの怖れも大きくなります。
仮に、一生自分を取りつくろい、劣等感を隠しおおせたとしても、いったい何が残るでしょうか。「しめしめ、うまくだまし通せたぞ」とほくそ笑むのでしょうか。
見抜かれることを怖れてはいけません。見抜かれることによって、人ははじめて安心できるのです。
「自分を飾らなくてもよい関係」が、本当に心の通い合える人間関係です。
綱渡りが怖いなら、はじめから地面に降りてしまえばよいのです。

賢い人間だと思われようとして、精一杯の知識をひけらかせば、ずっと賢い人間で通さなければならず、「バカにされるのが怖い」という不安はますます強くなります。
頭の悪い人間だと思われることを怖れるならなおさら、自分を賢く見せようとせず、知識のない振りをしておけばよいのです。
それでも自分を尊重してくれる人がいるなら、その人とは、きっとよい付き合いができます。

他人に見抜かれることを怖れている人も、心の底では「無条件で自分を認めてほしい」と思っているはずです。
他人が容姿や経済力などで人を評価しようが、自分だけはそういう表面的な条件で人を差別せず、ただ心だけをまっすぐに見つめていよう。そう心がけていれば、けっして孤立することはありません。
「ああされたくない、こうされたくない」と思うなら、まず自分が他人に手本を示さなければなりません。
よい友人、恋人を見つけるための一番の近道は、「こういう人と付き合いたい」と思う理想の人に自分自身がなることです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.200-209
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