メッセージ [ No.190 - 199 ]
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メッセージ [ No.190 - 199 ]

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No.190 『人のため、自分のため』

恋人にいろいろ尽くしてきたのに、急に別れを告げられて、腹が立つことがあります。
誕生日に高価なプレゼントをあげたのに。わがままな頼みもきいてあげたのに。不満があっても文句を言わず、我慢してきたのに。
いったい私のどこが気に入らないというのだ。

また、親は、子供を精一杯育ててきたのに、思春期になって突然反抗され、訳が判らず戸惑います。
我が子のためを思って、高い月謝を払って塾に行かせ、習いごともさせ、必要なものは充分に買い与えてきたのに。
(つづく)

No.191 『自己評価を高める』

他人に強くものが言えない。すぐに嫉妬してしまう。他人を疑ってしまう……。
自分の性格の欠点に悩んでいる人は多くいますが、性格は、変えようと思ってもなかなか変えられるものではありません。
無理をして正反対の行動をとろうとすれば、またそれも問題のある行動となってしまいます。

はっきりものが言えない性格を直そうとして、ずけずけと自分の主張ばかりを押し通そうとすれば、今度は利己的な人だと思われてしまいます。
嫉妬深い性格を直そうとして、我が道を行くという性向を強めすぎれば、他人に無関心で独りよがりな人間となってしまいます。
他人を疑ってばかりいるのもよくありませんが、他人の言うことを何でもほいほいと鵜呑みにするのもよくありません。
どんな性格にもよい面と悪い面がありますので、無理に変える必要はないのです。
(つづく)

No.192 『批判する人、される人』

自分に自信がもてない人が、他人との付き合いに苦痛を感じる理由は、「もし批判されたとき、どう言い訳をすればよいか」と考えることに疲れ切ってしまっているからです。
そして、実際に批判されてしまったときの対処は、大きくふた通りに分かれます。
積極的に「攻撃は最大の防御とばかりにやり返す」か、消極的に「傷ついている自分を見せつけ、相手に罪悪感を抱かせようとする」かのどちらかです。
どちらにしても、他人を変えることに全精力を注ぎ込んでしまうのです。

しかし、他人が変わるのを待ち続けるには、人間に与えられた一生の時間は、あまりにも短すぎます。
世の中に、批判されない人はいません。
何かを言ったといって批判され、言わなかったといって批判されます。失敗してはバカにされ、成功しては妬まれます。
自分のまわりの人間すべての批判を抑えることなど、とても不可能なことです。
(つづく)

No.193 『幸せのための自立』

他人に見捨てられる恐怖に過剰に怯えてしまう人がいます。
「拒絶されるくらいなら、自分から先に拒絶してやる」と身構え、他人が自分を拒絶しようとする兆候を見逃すまいとアンテナを張りめぐらし、他人の何気ない言動を悪意に受け取って傷ついては、怒りをため込んでしまいます。
他人に依存する一方、他人を完全に信用することもできず、「見捨てられたくないという不安」と、「自分を拒絶する人への怒り」とが入り交じった複雑な感情に苦しめられているのです。

そういう人は、他人の意にそうよう合わせることでしか安心をえられず、自分なりの主張や感情をもつことは許されないと感じています。
自分の素直な欲求や意志に従って行動すれば、他人に見捨てられると思い込んでいるのです。
しかし、はっきりと自分の意志に目覚めることによって、他人から見捨てられるのであれば、そういう人たちとは早いうちに見切りをつけてしまったほうがよいのです。
(つづく)

No.194 『よい悩みと悪い悩み』

他人の気持ちを先回りして読み取ってしまい、他人に気を遣ってばかりで、自分はいつも損をしている、という人がいます。
しかし、そういう人は本当は、他人の気持ちを思いやっているのではなく、「自分が嫌われていないか」「自分が変に思われていないか」と、自分のことばかり気にかけているのではないでしょうか。

本来、他人の気持ちを読み取ることができる能力というのは、悩むべき欠点どころか、長所であるはずです。
本当に他人の気持ちがよく判るのであれば、それはすばらしいことであり、自信をもってよいことなのです。
(つづく)

No.195 『何ものにもとらわれるな』

禅の教えでは、「善悪にこだわってはいけない」と説いています。
私たちはふつう、よい行いは褒められるべきことだと思っています。
しかし、「何ものにもとらわれるな」という禅の考え方では、たとえよいことであっても、とらわれることは不幸のもとになるというのです。

だからと言って、善悪をわきまえず、好き勝手な行動をとればよいというのではありません。悪い行いは慎み、よいことは積極的に行うべきです。
よい行いはすべきですが、「私はよいことをした」と思ってはいけないのです。
(つづく)

No.196 『不公平という不満』

「自分は学歴がないために惨めな思いをしてきたから、子供はいい大学に行かせて、楽をさせてやりたい」と思う親が、せっせと教育資金を出し、子供を塾に通わせ、家庭教師を雇います。
もちろん、いい学校に行かないよりは行ったほうがよいでしょう。自分のやりたいことがあって学問をするのは、おおいに結構なことです。
しかし、単に他人との競争に勝ち、自分だけが得をするために勉強をさせるのは、教育とは言えません。

「社会的成功をえられなかった人間は、見くだされても仕方がない」という恐怖に支配されて育った子供が、たとえ競争に勝ち抜いて頂点に立ったとしても、どれだけ立派な人間になるというのでしょうか。
「いい学校を出ていなければ、ろくな仕事に就けず、つまらない人生を送ることになる」と教え込まれていることから、すでに子供の不幸が始まっているのです。
(つづく)

No.197 『足るを知る者は富む』

お金のことでいえば、倹約家とケチとはまったく異なります。
倹約家とは、お金のありがたみが判っており、お金を大切に、上手に使うことのできる人のことです。
対してケチな人は、際限なくお金を求め、どれだけ儲けても満足できず、もっと儲けるにはどうすればよいかということばかり考えています。
ケチは、他人に与えるときも、恩着せがましく見返りを要求します。まわりの他人と助け合い、支え合って生きるという意識はなく、自分が得をすることしか頭にないのです。

「足るを知る者は富む」とは、老子の言葉です。
豊かさとは、「どれだけ多くのものをもっているか」ではなく、「どれだけ多くのものを必要とせずにいられるか」によって測られます。
欲に苦しめられている人は、その欲を満たすためにどれだけ努力しても、苦しみから逃れることはできません。
(つづく)

No.198 『自分が何をしたいのか』

「友達とうまく話ができない」「すぐ他人に腹を立ててイライラしてしまう」
自分の行動や考え方の悪いくせを改めたいのに、「判ってはいるが、なかなかできない」ということがあります。
頭の中だけで考え、必死で自分に言い聞かせようとしても、思うようにはいきません。

スポーツの上手な人は、そのスポーツの動きに体が慣れている人だといえます。
テニスのうまい人はテニスの動きに慣れており、サッカーのうまい人はサッカーの動きに慣れています。
体を慣らす方法は、反復して練習する以外にありません。
つらい練習に耐えられるのは、そのスポーツが好きだからです。好きでもないことをいくら練習しても、なかなか上達は望めないでしょう。
(つづく)

No.199 『皆、助け合って生きている』

失業した親が、子供には惨めな思いをさせたくないからと、無理をして、子供がほしがるものを何でも買い与えて甘やかします。
しかしそれは、子供を思う親心ではなく、「子供に嫌われたくない」という親の自己愛にすぎません。

子供が成長して大人になり、同じように生活に困ったとき、自分の力で切り抜けられるだけの力を育ててやることが、本当の親心です。
失業した父親は、子供に堂々と、「お父さんもがんばって新しい仕事を探すが、お前たちもしばらくの間は、ほしいものを我慢し、アルバイトなどをして家計を助けなさい」と言えばよいのです。
困っているときに助け合わずして、家族と言えるでしょうか。
(つづく)

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