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No.173『健全な罪悪感を育てる』

自分に自信がもてず、なかなか他人に心を開けない人は、心の中に罪悪感を抱えています。
どうせ他人は私と一緒にいても楽しくないのだろう、私なんかが話しかけると他人は迷惑に思うに違いない……。
自分のことはいつも後回しにして、他人の気持ちを先回りして読み取ってしまうから、つい自分を抑えてしまうのです。

たしかに、人間にとって罪悪感というものは必要です。
悪いことをしても、他人を傷つけても、悪びれず平然としている人というのは、鈍感で、自己中心的で、まったく迷惑な存在です。
本当に自分が間違っていたと反省し、自分を改めたいと思うならば、罪悪感は、自分を成長させるエネルギーとなります。
自分に誇りをもち、胸を張って生きようと思うからこそ、そうではない自分に恥ずかしさを感じるのです。

健全な罪悪感は、自分を愛する心、成長したいという欲求から生まれます。
せっかく自分に与えられた本当の価値をまだ充分に活かしていないことを自分自身に申し訳なく思う気持ちです。
罪悪感は、自分の中ももっとも大切な部分、成長したがっている部分を気づかせてくれるものなのです。

罪悪感によって意欲をなくしたり、自分が嫌いになったりしてしまうのであれば、それは本当の罪悪感ではないのです。
「どうせ私は愛される価値はない」「どうせ他人は私を嫌っている」というのは、ゆがんだ偽りの罪悪感です。
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偽りの罪悪感は、謙虚さではなく、傷つくことから自分を守るための逃げ口上にすぎません。
他人から自分の価値を否定されたとき、「そんなことははじめから判っていましたよ」と、相手にも自分にも言い訳をするための準備なのです。
突発的な大けがをすることは避けられますが、気づかぬうちに心はじわじわと低温やけどを起こしているのです。

「他人の迷惑にならないようにしよう」という思いが、本当に他人を思いやる気持ちからきているのか、単に「自分が軽蔑されたくない、嫌われるのが怖い」という不安にすぎないのかをよく見直さなければなりません。

自分で自分を責めるのは、他人から責められるよりも、はるかにつらく苦しいことです。
「私は愛される価値がない」という偽りの罪悪感に苦しんでしまうのは、それが本心ではなく、自分の心に渦巻いている矛盾を受け入れられないからです。
どれだけ自分を否定しても、心の奥に残っている「自分を愛したいという気持ち」は捨てきれません。
暗闇の中に輝くその自己愛をはっきり認め、大切に育ててあげましょう。

自分の存在そのものが他人にとって迷惑であるなどということはありません。
思いやりのない言動や、押しつけがましい態度をとれば迷惑になることがある、というだけのことです。
そうならないよう自分の言動に責任をもち、注意を払えばよいのです。

自分を愛するために、罪悪感を捨てる必要はありません。
健全な罪悪感は、自分を成長させるためにぜひとも必要なものです。
その罪悪感を正しい形で表すことが重要です。
(おわり)

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こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.170-179
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