人間不信に陥ったとき

No.126 『人間不信に陥ったとき』

私たちは、ときに、わざと他人を拒絶し、「私は、人から愛されたいなどとは考えていないんだよ」という素振りを見せてしまうことがあります。
しかし、他人を拒絶してしまうのもまた、「愛されたい」という過剰な意識をもっている証拠です。

小学生ぐらいの男の子は、好きな女の子の気を引きたくて、わざと意地悪をします。
年ごろの娘が父親を毛嫌いするようになるのは、異性への性的関心が芽生えるからです。
卑屈なほどに遠慮深く、腰の低い人は、他人への激しい敵意を秘めています。

人は、過剰な意識を他人に悟られまいとして、まったく反対の行動をとることがあります。それを自覚していない人は、自分で自分を偽っているという無意識の罪悪感、自己嫌悪に苦しめられてしまいます。
「愛されたい」という願望自体は、人間として当然のことです。はっきりと意識してもよいのです。
それをどのように行動に移すか、ということが問題です。

他人を愛せないという人は、心の奥に人間不信があるのでしょう。
いつか裏切られるに違いないという不安にかられ、後で傷つくくらいなら、はじめからあきらめたほうがショックが少なくてすむと考えてしまうのです。

「どうせ私なんか、愛される価値はないのだ」と心を閉ざしてしまうのは、自分を認めてくれない他人への怒りのすり替えなのです。
自分は不幸な人生を送ってきたのだから、特別にわがままを言う権利があるのだ、他人は自分を丁重に気遣ってしかるべきだ、というおかしな特権意識が、ますます他人からうとまれる原因になってしまいます。

自分だけが不幸なのだと思い込んでいる人は、自分のことで頭がいっぱいになっています。
他人を思いやる心の余裕がないから、自分が他人から認められることばかり気にかけてしまうのです。
(↓ つづく)

人間不信に陥っている人は、人間の暗い面、みにくい面ばかりを見て、「さあ、次はどんな冷たい人間が現れるのだろう」と待ちかまえているのです。「自分が幸せを感じられないのは、自分のせいではなく、他人が冷たいからだ」ということを確認したいのです。

もちろん、冷たい人は、誰のまわりにもいます。しかし、全体の割合から考えれば、それはごく一部にすぎません。
冷たい人に裏切られたなら、その人のことを嫌うのはかまいませんが、だからといって、「人間なんてみんな冷たいのだ」と心を閉ざしてしまうのは間違いです。
いい人もいれば、悪い人もいる。自分は、たまたま悪い人に巡り会ってしまった。それだけのことです。

盲目的に誰でも信用してしまうのも危険ですが、他人を警戒しすぎるのもいけません。
人間関係は、支配するかされるかの闘争ではありません。
他人に対して、学ぶべきところがあれば素直に学び、自分がしてあげられることがあればする。それだけで充分です。

「裏切られた」ということは、つまり、「相手が自分の期待通りのことをしてくれなかった」ということです。要求するから、裏切られるのです。
「相手が自分に何をしてくれるか」という打算を捨てれば、裏切られるという不安もなくなります。
他人が自分に何もしてくれなくても、ただその人の存在を認めてあげる、ということから始めてみましょう。

(文・たかたまさひろ)
No.125 『ひとつの幸せにこだわらない』 No.127 『自分の喜びを知る』
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