メッセージ [ No.060 - 069 ]
たかたまさひろの本 好評ロングセラー
こころが休まる本
(だいわ文庫)


たかたまさひろ(著)
大和書房
648円
リラックスブック
(だいわ文庫)


たかたまさひろ(著)
大和書房
596円
こころのおそうじ。
(だいわ文庫)


たかたまさひろ(著)
大和書房
617円

メッセージ [ No.060 - 069 ]

前の10件 次の10件

No.060 『生活のテンポを落としてみる』

先日、近所を歩いていたときのことです。
広い通りの横断歩道を渡ろうとしたところ、信号が赤に変わりかけていたので、わざわざ走って渡ることもないと思い、待つことにしました。
後ろから、若いお母さんと、幼稚園児の娘さんが猛然と駆けてきました。お母さんは、「早く!急ぎなさい!」と、娘さんに叫んでいます。娘さんは、今にも泣き出しそうな顔で、必死でお母さんの後を追ってきていました。

結局、母娘は間に合わず、信号は赤に変わってしまいました。お母さんは、「ほら、あんたがグズグズしてるから、渡れなかったじゃないの!」と、娘さんを叱りつけました。娘さんは、ついに大声を上げて泣き出してしまいました。
よほど急がなければならない事情があったのだろうと思って見ていると、信号が青に変わった後、そのお母さんは、特に急ぐ様子もなく、悠然と歩いていきました。
(つづく)

No.061 『自分を中心に考える』

ある人が、飼い犬のいたずらに困っていました。
家の中で掃除機をかけると、犬は、掃除機を生き物だと思っているのか、ブーンという音に反応して、駆け寄ってきて柄の先に咬みつくのです。いくら叱りつけて引き離そうとしても、犬は言うことをききません。
これでは掃除をすることができず、飼い主は困り果てて、ペットのしつけの専門家に相談しました。すると、専門家は、いとも簡単に犬のいたずらをやめさせることができたのです。

犬が掃除機に咬みついてきたとき、まず、引き離して、やめさせるところまでは同じです。
その後が肝心でした。「いたずらをやめたこと」を褒めて、頭を撫でてやるのです。それを数回繰り返せば、難なく犬は言うことをきくようになります。
「叱られたからやめた」のではなく、「自らの意志でやめた」のだと思うことにより、犬の自尊心(?)は保たれたのです。
(つづく)

No.062 『男女の考え方の違いを理解する』

男性と女性とでは、恋人や配偶者に求めるものが根本的に異なっているようです。
一般に、男性は、「何も言わなくても、心が通じ合う関係」に安心し、女性は、「何でも話し合い、ともに行動すること」に充実を感じます。
どちらが正しくて、どちらが間違っているということはありませんが、互いにそれを理解していないことから、男女の心のすれ違いが起こってきます。

『妻と子供のために、郊外に一戸建を買い、その返済のために仕事に明け暮れる。
数時間の通勤地獄も、激務のストレスも、「愛する家族のため」と思えば、歯を食いしばって我慢できる。
妻が家を守ってくれるから、自分は仕事に専念できる。すばらしいパートナーシップだ。子供の寝顔を見るたび、家族がいつまでも安心して暮らせるよう、明日も頑張ろうと奮い立つ。
子供が成人し、結婚もして、親としての一応の務めを果たし終える。
やがて定年退職し、残りの人生を妻とふたりで、旅行でもしながら悠々自適に過ごそうと思っていたところ、突然妻から離婚を言いわたされる』
夫は、「これまで、自分を犠牲にして家族のために働いてきたのに、なぜそんなひどい仕打ちを受けなければならないのか」と、訳が判らず、パニックに陥ります。
(つづく)

No.063 『不幸は不幸を呼び、幸福は幸福を呼ぶ』

不幸な人は、「自分のまわりの人間は、皆、心が冷たい。他人のせいで、いつも自分は傷つけられ、苦しめられている」と、一方的な被害者意識をもっています。
しかし、不幸な人は、無意識のうちに、自分と同じように不幸な人を求めているのです。不幸な人と付き合っているうちは、自分の心と真剣に向き合うことを避けられるからです。

たとえ相手との関係がうまくいかず、嫌われたり、見くだされたりしても、「どうせあいつは、心の冷たい人間だから」という言い訳をしてごまかすことができます。
しかし、幸福な人と付き合えば、そうはいきません。いやおうなく、心の奥に封印していた劣等感を掘り起こされてしまいます。
嫌なこと、悔しいことがあっても、相手のせいにすることができず、自分の心と向き合わなくてはなりません。それが怖いのです。
(つづく)

No.064 『愛情の押し付けをやめる』

他人が喜ぶこと、他人の役に立つことをしてあげるのは、よいことに決まっています。
しかし、その言葉の表面的な意味だけにとらわれると、大きな落とし穴にはまってしまいます。

女性に多いのが、「私は、恋人に尽くすタイプです」と言う人です。
もちろん、尽くすこと自体は大いに結構なのですが、それを売り物のようにアピールしてしまうと、かえってマイナスのイメージをもたれて敬遠されたり、ごう慢な男性に利用されたりする危険性がありますので、注意が必要です。
本当に「尽くしている」人は、尽くしているということは意識していないでしょう。
わざわざ「私は尽くすタイプです」と公言する人には、えてして、「さあ、私はこれだけのことをしてあげましたよ。それをあなたは、どう評価してくれますか。何をお返ししてくれますか」という恩着せがましさが感じられるものです。
(つづく)

No.065 『心は感情である』

「われわれは、楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」と、ある有名な心理学者は言いました。
現在の心理学的な見地からは、必ずしも正しいとはいえない論理だそうですが、ふだんの私たちの「心の持ち方」を考えるとき、おおいにためになる言葉です。

「どうせ人間なんて皆、冷たい」と他人を批判している人は、必ずといっていいほど、いつも不機嫌そうな顔をしています。
嫌われるから不機嫌なのか、不機嫌だから嫌われるのか。「卵が先か、ニワトリが先か」のような話ですが、これは「どちらも正しい」と言ってよいでしょう。
まさに、「嫌われるから不機嫌なのであり、かつ、不機嫌だから嫌われる」のです。
(つづく)

No.066 『人を信頼するということ』

ある本に、思わずはっとさせられる言葉を見つけました。
「どんなに親しい友人や恋人でも、100パーセント信頼するのはよくない。信頼は98パーセントにとどめておきなさい」
これは決して、ドライでネガティブな考え方ではありません。

「相手を100パーセント信頼する」という、一見「美しい」心の裏には、「万が一にもその信頼が裏切られるなどということは、あってはならない。相手は、私の信頼に絶対に応えるべきだ」と押しつけるごう慢さも潜んでいます。
しかし、相手も人間なのですから、魔がさして、私利私欲にかられ、人を裏切ることもあるかもしれません。
誰でも一度は、他人を傷つけた経験をもっているはずです。他人の過ちを許せないなどと言う権利のある「完璧な人間」は、この世にひとりとして存在しません。
「信頼は98パーセントにとどめておきなさい」というのは、仮に相手が過ちを犯したとしても、「それを許す気持ち」のために残りの2パーセントはとっておきなさい、ということです。
たとえ裏切られても後悔しない、という覚悟をもってこそ、本当に「相手を信頼している」と言えるのです。
(つづく)

No.067 『愛情と執着を区別する』

ある異性のことを好きになると、その人のことで頭がいっぱいになります。寝ても覚めてもその人のことばかり考え、ほかのことはまったく手につかなくなることもあります。
その人と恋人同士として付き合うことができたら、どんなに幸せだろう。毎日一緒にいることができたら、あんなこともしてみたい、こんなこともしてみたい。うきうきと楽しい夢に思いを馳せます。

それ自体は、素晴らしいことです。人を愛すれば、少しでも長く一緒にいたい、あらゆることを共有したいと思うのは当然のことです。
しかし、「逆もまた真なり」ではありません。
相手のことで頭がいっぱいだからといって、それを「純粋な愛」だと思い込んでしまうところに、大きな落とし穴が潜んでいます。
(つづく)

No.068 『依存をやめれば楽しみが生まれる』

「依存症」と呼ばれる心の病気があります。
アルコールやニコチンなどの依存症は古くから知られていますが、ギャンブルや買い物の依存症というものもあります。
しかし、ギャンブルも買い物も、純粋に楽しんでいるかぎりにおいては、別に問題はありません。家族や周囲に迷惑をかけなければ、自分が稼いだお金をどのように使おうが、その人の自由です。
熱狂的なプロ野球ファンや、車マニアの人なども、自分の楽しみのためなら惜しみなくお金を使います。
依存症との境界線は、どこにあるのでしょうか。
(つづく)

No.069 『自分が楽しめば、相手も楽しい』

以前、新聞か何かのコラムで、次のようなことが書かれていました。
「父親の『家族サービス』という言葉がよく使われるが、このサービスという言い方は、恩着せがましいのではないか」
たしかに、サービスという言葉には、「義務でもないのに、特別にやってあげている」という印象があります。
父親が子供たちと遊ぶのは、当たり前のことであって、サービスでも何でもありません。親子で親交を深め、共通の思い出をつくるのは、子供のためだけではなく、親自身のためでもあるのです。

「そんなにわがままを言う子とは、遊んであげないよ」
「そうやってだだをこねるから、お前は連れてきたくなかったんだ」
子供に何かをしてあげるとき、いちいち「本当はやりたくないのに、お前のためにしてやっているんだ」という態度を示す親がいます。
そういう親に育てられた子供は、他人と行動をともにしているとき、心から楽しむことができません。自分の存在がまわりの人にとって迷惑なのだという誤った観念をもってしまい、つねに「相手は、いやいや付き合ってくれているのではないか」ということを気にかけてしまいます。
(つづく)

前の10件 次の10件